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エジプト文明:古王国時代⑨ ピラミッド史の流れ その4 第5王朝~最後

第5王朝

第5王朝のピラミッド関連のことは「エジプト文明:古王国時代⑤ ピラミッドと宗教 その3 太陽信仰とオシリス信仰」でも書いた。

第5王朝初代ウセルカフ王から宗教上の様式が大きく変わり、王たちはピラミッドを壮麗にすることよりも、宗教儀礼に情熱を傾けるようになった。宗教儀礼の中身は、王の来世における復活再生させるための儀式だ。これは第5王朝末の「ピラミッドテキスト」により類推される(これも上記の記事に書いた)。

その結果、ピラミッドはかなり質の落ちたものになってしまった。

第5王朝になると、概してピラミッド本体は規模が小さくなり、使用される石材も小型になって、建造方法もそれ以前の時期に比べて遥かに手抜きになった。第5王朝以降のピラミッドは、たいてい内部構造の核壁の外側と表装石だけを堅固な石積みにしているが、使用された核石材は概して小型で粗略に整形が行われており、しばしばその隙間の部分には石のかけらや砂が用いられたいたのである。すなわち、ピラミッド本体の規模と建造技術の面においては、第4王朝前半のピークを過ぎるとピラミッドは衰退したのであった。

出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p153

その一例として、初代ウセルカフ王のピラミッドがこちら↓

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ジェゼル王のピラミッドの隣にあるウセルカフのピラミッド[右]

出典:ウセルカフのピラミッド - Wikipedia

右の瓦礫の山としか思えないものがそれ。第3王朝初代ジェゼル王のピラミッドに比べたら、時間の経過で劣化した結果でないことが分かるだろう。

大きさに関して言えば、第3代ネフェリルカラー王を除けば、本体自体の底辺が80m弱のもので定式化されていたらしい(馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p109)*1

第6王朝(最後の王朝)

この王朝のピラミッドや宗教儀礼その他慣例は先王朝のものを踏襲した。

現在においては、第5王朝のピラミッドと同じように、砂礫の中から上層部が突き出しているような姿だ。



*1:ネフェリルカラー王のものは100m超