歴史の世界

【用語】解剖学的現生人類

解剖学的現生人類と現代的行動

どうやら「身体は完全な現生人類(ホモ・サピエンス)だが現代的行動を身に着けていない現生人類のこと」という意味のようだ*1。この用語ができた時点では現代的行動を身に着けた人類こそが真のホモ・サピエンスだ、という認識があった。

しかし現在では、現代的行動を持っているかどうか分からない場合にもこの言葉を使うらしい。

現代的行動については「現代的行動<wikipedia」に簡潔に書いてある。このブログでも取り上げた(「先史:ホモ・サピエンスの「心の進化」/現代的行動」 )。

ホモ・サピエンスの現代的行動の出現は10年前まで遡れるらしい。これについても「現代的行動<wikipedia」に書いてある。以前は5万年前あたりにヨーロッパで突然のように出現したという説が有名だったが、現在では10万年前あたりから漸進的に発達していったという説のほうが有力らしい。

個人的には10万年前から始まった現代的行動は6~4万年前に"爆発"した(この件に関しては記事「ホモ・サピエンス:出アフリカ/文化の"爆発"」に書いた)。その理由は簡単に言えば、各地で起こっては消えていた現代的行動が、ネットワークの拡大と頻繁なコミュニケイションにより、消えることなく継承され蓄積された結果だということだ。

現代的行動と進化

私は、ホモ・サピエンスが現代的行動を身につけたのは、上に書いたようにネットワークの力であって、進化の結果ではないと思っていた。

しかし、脳がホモ・サピエンスの種内の中で斬新的に拡大していったという論文が発表されて、進化と現代的行動は何らかの関係があるかもしれないと思うようになった。

脳の斬新的な拡大に関する論文は以下のものだ。

Neubauer S, Hublin JJ, and Gunz P.(2018): The evolution of modern human brain shape. Science Advances, 4, 1, eaao5961.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.aao5961

これについては、「雑記帳」というブログの記事「現生人類の脳の形状の進化」で解説が書いてある(私はこのブログを見てこの件を知った*2 )。

人間の脳の形状に起こった比較的最近の変化が人類を大きく発展させたGigazine」にはマックス・プランク研究所の研究成果をまとめたyoutube動画が貼りつけられている。

ただし、この論文には脳と現代的行動の関係については書いていないらしい。



*1:人類史第4版 第5章 現代的行動の起源 

*2:数少ない日頃読んでいるブログ

【用語】 猿人・原人・旧人・新人/旧人(旧人類)archaic humans

授業の中で

私はむかし、人類は「猿人→原人→旧人→新人」のように進化した、と教えられた。最近の中高生が実際にどのように教えられているかは分からないが、youtube に上げられている幾つかの授業を見ると、あまり変わっていないようだ。

実際の進化はこんな簡単なものではないが中高の授業で分類学上の論争を披露しても意味が無いので、便宜的に上のように教えるのは至極まっとうだと思う。これらの用語は時代区分の代わりをしているようだ。

学界では?

それでは学界ではどうなのだろう。

猿人→原人→旧人→新人という人類進化の図式は、多くの日本人にとっておなじみのものとなっているでしょうが、これは人類の単系統の発展段階を前提としています。しかし、猿人とされた人類と原人とされた人類だけではなく、旧人とされた人類と新人とされた人類も長期間共存していたことや、旧人の代表格のネアンデルタール人はわれわれ新人の祖先ではない、との見解が有力になってきたことなどから、人類の単系統の発展段階説は、もはや破綻してしまったと言ってよいでしょう。

しかし、説明しやすく便利な概念であることと、慣例もあってか、日本ではまだ猿人・原人・旧人・新人という用語がひんぱんに使われています。ただ、英語圏ではもはやこうした用語が使われることはほとんどないようで、近年の古人類学関係の論文や報道でも、私が読んだかぎりでは、こうした用語は登場していません。

出典:猿人・原人・旧人・新人という日本語訳の問題について <雑記帳(ブログ)2007/10/08

そのむかしは、ネアンデルタール人が現代人(ホモ・サピエンス)の祖先だと考えられていたが違ったので、上のような仮説は破綻したのだが、それでも用語は今でも使われ続けているようだ。

素人の私の意見としては日本の学者が「○○原人」とか「△△猿人」などと使っているのは、原人や猿人を時代区分の代わりにしているのだと思う。あとは、アウストラロピテクスのような長ったらしい言葉を書くのが面倒なのかもしれない。

教科書の中の用語と種・属の関係

歴史教科書としては以下のように区分されている。

邦訳書の中の「旧人」は"archaic humans"

上の引用のように海外でこれらの用語に相当するものは使用されていないということだが、2つの邦訳書*1で「旧人」という言葉が使われていた。検索した結果これらは、"archaic humans"の訳だった。

「archaic humans<wikipedia英語版」によれば、この言葉はホモ・ハイデルベルゲンシスとネアンデルタール人が含まれる*2

化石を種ごとに正確に分類するのはなかなかむずかしいし、いったいいくつの種がホモ・エレクトスの末裔なのか、どの種がどの種の祖先なのかについても一致した見解はない。ともあれ重要なのは、これらの人類が基本的にホモ・エレクトスの脳の大きい変異体ということであり、人間の身体の進化について考えるなら、彼らをひとくくりにして「旧ホモ属」(俗に旧人類」)としょうするのは便利だし、理にかなってもいる。

出典:ダニエル・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著の出版は2013年)/p161

ここでも「旧人類」つまり旧人は時代区分の代わりとして使用されている。

まとめ

原人や旧人、あるいはarchaic humansなどは、時代区分の代わりとして使用し、分類学上の論争の影響を避けるためにわざと曖昧な用語になっていると理解できるだろう。



*1:ダニエル・リーバーマン『人体 600万年史 上』(早川書房/2015(原著の出版は2013年)とロビン・ダンバー『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト/2016(原著の出版は2014年)) 

*2:ホモ・アンテセッサーやホモ・ローデシエンシスは多くの学者がホモ・ハイデルベルゲンシスに分類している

人類の進化:ホモ属各種 ⑦ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス Neanderthal、Homo neanderthalensis)は以前はホモ・サピエンスの直系の祖先と言われていたが、近年の研究により、共通祖先を持つ別系統の種であるとされている(前回の記事参照)。

歴史教科書では「旧人」と紹介されている。

生息年代

「Neanderthal<wikipedia英語版」によれば、25-4万年前。ただし、進化は複数の特徴となる部分が別々の年代に進化したので、学者の意見は分かれているようだ。

シマ・デ・ロス・ウエソス(Sima de los Huesos)洞窟で43万年前の頭蓋骨などが見つかったが、これらの骨を「初期ネアンデルタール人」という人もいれば*1、ホモ・ハイデルベルゲンシスと言う人や*2、「その両方の特徴を持っている」とする人もいる*3

まあ、人類の進化や他の種の進化を思い起こせば、これは当然のことだと理解できるだろう。進化は時間がかかるものだ。

そして、典型的な特徴を一揃え揃えたネアンデルタール人は71000年にようやく現れる*4

また、これも「Neanderthal<wikipedia英語版」からだが、ネアンデルタール人の化石は13万年以前のものは極端に少なく、それ以降は多くなる。

13万年を境に、それ以前を早期ネアンデルタール人、以降を典型的ネアンデルタール人(おそらく後期ネアンデルタール人)と呼ぶらしい。

特徴

重複するが、13万年を境に、それ以前を早期ネアンデルタール人、以降を典型的ネアンデルタール人(おそらく後期ネアンデルタール人)と呼ぶらしい。

早期ネアンデルタール人は大きく平たい大臼歯、大きな顎、突き出た鼻、太い頬骨、隆起した眉、脳容量が小さいなど、原始的特徴を残している。

後期ネアンデルタール人は後頭部が異様に出っ張っているのが目立つ。このでっぱりのことは記事「人類の進化:ホモ属の特徴について ⑫脳とライフスタイル その7(脳とライフスタイルの進化 後編)」で書いているが、ここでも書いておこう。

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とホモ・サピエンスの脳の大きさはそれぞれ、1170-1740cc、1100-1900cc(ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)/p169)。「ネアンデルタール人wikipedia」にあるように(おそらく)平均値ではそれぞれ1600cc、1450cc とネアンデルタール人の方が脳が大きいようだ。

しかし、脳が大きい=頭がいいと即断できないことをダンバー氏の本は示している。

ダンバー氏曰く、ネアンデルタール人の脳の発達は、視野系を発達させるため、すなわち弱い日差しの中で(生息地は高緯度のヨーロッパ)、遠くまで見える能力の発達の結果だということだ。

高緯度地帯では日差しが弱いので、遠くのものを見づらいのだ。これは狩人にとって深刻な問題で、子どものサイを仕留めようとしているときに、母親のサイが暗い森のはずれにひそんでいるのを見逃すというミスを犯す訳にはいかないからだ。日差しが弱い地域での暮らしは、たいていの研究者が考えるより大きな負担を視覚に強いる。

出典:ダンバー氏/p190

このために後頭葉の最後部にある第一次視覚野が発達した。そのために後頭部が異様に出っ張っているような形になっている。

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出典:ネアンデルタール人wikipedia*5

簡単に言うと、ネアンデルタール人は視野系を強化するために脳の大きさを発達させたが、社会認知を高めるための脳の前方領域の発達は無かった。いっぽう、ホモ・サピエンスは低緯度地域アフリカで視野系を発達させない代わりに前方領域が拡大した(ただし、現代人も高緯度に住んでいる人びとは比較的視野系が発達しているらしい(これによる前方領域の脳の犠牲は無い) )(p192-194)。

これにより、ネアンデルタール人は思考・判断などを司る前方領域の脳の拡張が制限されかもしれない。これがホモ・サピエンスとの生存闘争に負けた原因の一つとなった。記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの」参照。

手足の特徴↓。

四肢骨は遠位部、すなわち腕であれば前腕、下肢であれば脛の部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。

出典:ネアンデルタール人wikipedia

発見・公表

ここでは3つだけ化石を挙げておこう。

Neanderthal 1

最初に科学的研究の対象となったネアンデルタール人類の化石が見つかったのは1856年で、場所はドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷 (Neanderthal) にあったフェルトホッファー洞窟であった。これは石灰岩の採掘作業中に作業員によって取り出されたもので、作業員たちはクマの骨かと考えたが念のため、地元のギムナジウムで教員を務めていたヨハン・カール・フールロットの元に届けられた。フールロットは母校であるボン大学で解剖学を教えていたヘルマン・シャーフハウゼンと連絡を取り、共同でこの骨を研究。1857年に両者はこの骨を、ケルト人以前のヨーロッパの住人のものとする研究結果を公表した[11]:217-219。ちなみにこの化石は顔面や四肢遠位部等は欠けていたが保存状態は良好であり、低い脳頭骨や発達した眼窩上隆起などの原始的特徴が見て取れるものである。

出典:ネアンデルタール人wikipedia

ネアンデル谷 (Neanderthal)で発見された化石が基準標本で、Neanderthal 1 。45000-40000年前。

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Neandertal 1856 - Neanderthal 1 - Wikipedia

La Ferrassie 1

1909年、フランスのドルドーニュにあるLa Ferrassie遺跡でLouis Capitan と Denis Peyrony によって発見された。50000年前。

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出典:La Ferrassie 1 - Wikipedia*6

ほぼ完璧な頭蓋骨で、典型的なネアンデルタール人の形状を持っている。つまり、ボールが上から潰されたようになっていて、後頭部の方向に伸びている。

Altamura Man

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出典:Altamura Man - Wikipedia

イタリア南部のAltamuraの近くの洞窟で1993年に発見された。128,000 - 187,000年前。

眼窩上隆起や矢状稜など早期ネアンデルタール人の特徴を持つ。

生活様式

ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。

出典:特集:ネアンデルタール人 その絶滅の謎 2008年10月号 ナショナルジオグラフィック 7ページおよび8ページ

狩猟のやり方は待ち伏せて槍で仕留める方法をとった。

ネアンデルタール人は有能で成功した狩猟採集民だった。もしもホモ・サピエンスがいなかったら、彼らはいまでも存在していたのではないだろうか。ネアンデルタール人は複雑で洗練された石器を作り、それをもとに掻器や尖頭器など、さまざまな種類の道具をこしらえた。火を使って食物を調理し、野生のオーロックス(原牛)やシカウマなどの大型動物をしとめた。

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体~科学が明かす進化・健康・疾病 上/早川書房/2015(原著は2013年にアメリカで出版)/p165

  • 掻器は皮なめしに使う石器。毛皮についている脂肪や肉を掻き取るために使用された。
  • 尖頭器は字のごとく先端を尖らせた石器で槍先につけた。

また、他の人のブログ記事「ネアンデルタール人の人口史 雑記帳/ウェブリブログ」では、「複数の小規模集団に細分化されていき、集団間相互の交流は稀だった、との見解を提示」する論文が紹介されている。

ホモ・サピエンスはネットワークを作って天災などの緊急事態に対して保険をかけていたが、ネアンデルタール人はそのような保険をかけていなかったかもしれない。

ネアンデルタール人の絶滅については、記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの」で書いた。

おもな参考文献



人類の進化:ホモ属各種 ⑥ホモ・ハイデルベルゲンシス

ホモ・ハイデルベルゲンシスまたはハイデルベルク人という名前はそれほど有名ではないが、ホモ・サピエンスネアンデルタール人の共通祖先として重要な種だ。   下はホモ属の系統図。

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Description
English: Chris Stringers' hypothesis of the family tree of genus Homo, published in Stringer, C. (2012). "What makes a modern human". Nature 485 (7396): 33–35. doi:10.1038/485033a.

  • "Homo floresiensis originated in an unknown location from unknown ancestors and reached remote parts of Indonesia."
  • "Homo erectus spread from Africa to western Asia, then east Asia and Indonesia. Its presence in Europe is uncertain, but it gave rise to Homo antecessor, found in Spain."
  • "Homo heidelbergensis originated from Homo erectus in an unknown location and dispersed across Africa, southern Asia and southern Europe."
  • "Homo sapiens spread from Africa to western Asia and then to Europe and southern Asia, eventually reaching Australia and the Americas."
  • "After early modern humans left Africa around 60,000 years ago (top right), they spread across the globe and interbred with other descendants of Homo heidelbergensis," namely Neanderthals, Denisovans, and unknown archaic African hominins.

出典:File:Homo-Stammbaum, Version Stringer.jpgWIKIMEDIA COMMONS*1

生息年代

70-20万年前(諸説あり)

特徴

簡単に言ってしまえば、先祖のホモ・エルガステル(またはアフリカ系ホモ・エレクトス)と後継のネアンデルタール人ホモ・サピエンスの中間の特徴を持っている。

一番注目されるのが、脳容量の拡大だ。生息時代の後期には1300ccを超えて現代人の9割程度の大きさまで達した。

あとは下記参照。

発見・公表

1907年、ドイツのマウエルで砂の採掘現場の労働者Daniel Hartmannが採掘坑で ほぼ完全な下顎の化石を発見した。Mauer 1。正基準標本。
翌1908年に人類学者Otto Schoetensackがこれを独立した種のものであるとして、この種をハイデルベルゲンシスと名づけた。この発表も1984年にオランダ人 ウジェーヌ・デュボワが発表したピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と同様に、受け入れられるまでに長い時間を要した。
ホモ・エレクトス(またはホモ・エルガステル)とホモ・サピエンスの中間的な特徴を持つ。すなわち、ホモ・エレクトスよりは華奢で臼歯が小さい。ホモ・サピエンスよりは頑丈で臼歯は大きく、'おとがい'がない('おとがい'とはホモ・サピエンスだけにある顎の出っ張りのこと)。
2010年に、改めて分析した結果、609,000 ± 40,000年前のものだとされた。

1921年ザンビア北ローデシア(現カブウェKabwe)の鉛と錫の採掘現場で、鉱山労働者のTom Zwiglaarが上顎が付いている頭蓋を発見した。Kabwe 1。
この頭蓋はArthur Smith Woodwardに送られ、Woodward氏はこれを新種と判断しHomo rhodesiensisと名づけた。この頭蓋は正基準標本だ。ただし、現在の学者の多くはこれをホモ・ハイデルベルゲンシスのものとしている。
同じ場所で頭蓋に加えて、脛骨や大腿骨も出土した。年代は300000-125000年前。
エレクトスに近い特徴は、広い矢状隆起と大きな眼窩上隆起がある。ネアンデルタール人に近い特徴としたはoccipital torusと呼ばれる後頭部にある突起を有する。ホモ・サピエンスに近い特徴は脳容量が大きいこと。約1300cc。ただし脳の前部は小さいために顔面がやや斜めになっているがエレクトスほどではない。

1971年、フランス南部トータヴェルTautavelのアラゴ洞窟で、Henry and Marie Antoinette de Lumley夫妻が頭蓋と下顎を発見した。脳容量は1150cc。45万年前。

その他

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの分岐

ホモ・サピエンスは20万年前に出現、ネアンデルタール人は40~30万年前の間に出現したが、彼らは、ホモ・ハイデルベルゲンシスの種内で、DNAレベルで分岐していた。

スペインのSima de los Huesos洞窟の43万年前の複数の化石からDNAを取り出すことができた。この解析によれば、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの分岐は756000~550,000の間だということだ。ホモ・ハイデルベルゲンシスが70万年前に出現したとすれば、彼らは共通祖先ではない可能性もあることになる。(Oldest Ancient-Human DNA Details Dawn of Neandertals<SCIENTIFIC AMERICAN March 14, 2016)

ホモ・ハイデルベルゲンシスの祖先

この種 自身の祖先は? ホモ・エレクトスとする学者が多いかもしれない。

ただし、ハイデルベルゲンシスはアフリカ原産なので、祖先はアフリカ系エレクトスとなる。一部の学者はアフリカ系エレクトスをホモ・エルガステル(H. ergaster ホモ・エルガスター)と呼ぶ。

エルガステルの化石は150万年以降のものは出土していないが、エチオピアのアワッシュ川上流のゴンボレ2(Gombore II)遺跡から出土した化石が両者の間の形態学的な相違を埋めるものとして候補に挙がっているそうだ。(アフリカにおける後期ホモ属の進化 <雑記帳(ブログ)2017/11/29)

上のゴンボレ2の化石をも「アフリカ系エレクトス」としてしまえば、深く考えずに済むだろう。

脳容量の急激な拡大

以前に「ホモ属の特徴について ⑪脳とライフスタイル その6(脳とライフスタイルの進化 前編)」で30万年前あたりで人類の脳容量が急激に拡大したことを紹介した。以下に図を再び引用しよう。

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ホモ・ハイデルベルゲンシスの個々の標本の頭蓋容量を時間軸にそって示す。
● 高緯度個体群(ヨーロッパ)
○ 低緯度個体群(アフリカ)
30万年前までは、気温の降下と緯度の付加的な効果により、時の経過とともい脳の大きさが減ったが、その後これらの制限条件から開放されたことをデータが示している。この制限条件からの解放は、料理に常時火を使うようになったこと、暖かさ、そしてとくに活動時間の長期化とかかわっているかもしれない。出典:DeMiguel & Heneberg (2001)

出典:ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著は2014年出版)/p179

以上は おそらくホモ・ハイデルベルゲンシスと初期のネアンデルタール人と両者の特徴を持つ中間的な化石が含まれている。

この急激な変化の原因をダンバー氏は40万年前から始まった火の使用の習慣化にあるとしている。ただす同氏がかいていることだが、標本の数が少ないので、将来標本が多数出土すればこの仮説は成り立たなくなるかもしれない。

種区分についての問題

ホモ・ハイデルベルゲンシスは標本数が少ないため、ホモ・エレクトスネアンデルタール人、”古代型”ホモ・サピエンスに区分されていた。しかしここ数十年の内に標本数が増えてきたため、独立種として認められるようになった。

もうひとつ、違う問題がある。古人類学に詳しいブログ「雑記帳」から引用。

人類種区分の難しさはいまさら言うまでもありませんが、古代型ホモ=サピエンスまたはハイデルベルゲンシスについては、ホモ=ハビリスのように、分類に悩む人骨を何でも放り込んできたという側面があり、種の水準で異なるかどうかはともかくとして、複数の集団に分類したほうがよい、との見解が提示されるのは当然だろうと思います。私も昨年執筆した文章では、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/052.htm
ハイデルベルゲンシスについて、「多様性が大きく、複数種に区分するほうが妥当である、という可能性はつねに念頭においておきたい」と述べました。

ただ、更新世中期の人骨は少ないので、この時代の各地の人骨の種区分や系統関係については、今後もはっきりしない状況が続くものと思われます。また、人類進化はひじょうに複雑だったでしょうから、その意味でも、更新世中期の人骨の種区分や系統関係を解明するのは難しいところがあります。東アジアの大茘人にしても、東アジアのエレクトスから進化したという可能性もありますが、更新世中期のアフリカの人類との関係も考えられます。

出典:更新世中期の人類の分類学(ハイデルベルゲンシスとは何者か?)

ホモ・ハイデルベルゲンシスに区分されている標本の分類が雑すぎるという問題。これも標本数が少ないため、個体差をどう解釈するかで学界内の意見が一致しないのかもしれない。

参考文献



ネアンデルタール人フローレス人、デニソワ人については、記事「ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する」で書いた。


*1:著作者:Chris Stringer

人類の進化:ホモ属各種 ⑤ホモ・エレクトス 後編

前々回にも書いたことだが、ホモ・エレクトスは、ホモ属の代表的な種の一つだ。生息年代は100万年を超え、生息地域もユーラシア大陸で広範囲に確認されている。

生息年代

150-5万年前(ホモ・エルガステルを入れると190万年前に遡る)

特徴

ホモ・エレクトスの特徴については、記事「人類の進化:ホモ属の特徴について ①~⑫」で書いたが、外見的(解剖学的)な特徴は「②長距離走行に焦点を置いたホモ属の形態的な特徴」に書いてある。

発見・公表

1891年、ジャワ島のトリニールで、オランダ人 ウジェーヌ・デュボワが臼歯と頭蓋冠を発見した。すべて合わせて Trinil2、別名「Java Man」、日本語名「ジャワ原人」。100-70万年前。脳容量900cc。
翌1892年には大腿骨も発見した。
1894年、同氏はAnthropopithecus erectusとして発表。
この化石の発表の顛末については前回書いたとおり。当分の間、ただのサルの化石ではないかと疑われていたが北京とジャワ島で相次いでホモ・エレクトスの化石が発掘されたため、デュボワ氏の功績が認められた。

1923年、北京周口店地区の竜骨山で、スウェーデンの地質学者ユハン・アンデショーンとオットー・ズダンスキーが、臼歯の化石を発掘した。78-68万年前。
1929年に裴文中により頭蓋が発掘されたことを皮切りに次々とホモ・エレクトスの化石が発見された。

1960年、オルドヴァイ渓谷でルイス・リーキーが頭蓋冠を発掘した。OH 7。別名 Chellean Man。
ホモ・エルガステルとする人もいるらしい。
150万年前。脳容量:1000cc。

ジャワ原人

ジャワ原人はジャワ島で独自の進化を遂げたらしい。

年代の決定はつねに論争があるところだが、目安として書いておくと、サンギランのサンギラン層から見つかるジャワ原人化石は160万~120万年前にさかのぼり、バパン層の新しいところでは100万~80万年前くらいまで。サンブンマチャンの年代は不明だが、およそ30万年前という可能性が示唆されている。ガンドンは10万年前から5万年前とされる。

これらすべてを3つの化石群に分けるなら、“前期のジャワ原人”(サンギラン、トリニール)、“中期のジャワ原人”(サンブンマチャン)、“後期のジャワ原人”(ガンドン)といった分類が可能だろう。それぞれの年代は、およそ120万~80万年前(160万~100万年前との意見もある)、30万、10万~5万年前である。前期と中期の間には50万年ものギャップがあるが、この時期のジャワ原人化石は事実上見つかっていない。[中略]

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写真3 (左から)前期、中期、後期のジャワ原人頭骨の比較
前期のサンギランは頭骨が低く額も狭いが、後期のガンドンはより高く、額は広がっている。中期のサンブンマチャンは額は広いが頭骨は低い。

「継続的な進化と結論したのは、前期から中期、後期にかけて連続的な形態変化が認められるからです。これ、古いものとして、トリニールの模型を見てください。脳容量が小っちゃくて、頭の高さが低くて、それから額がものすごく狭い。きゅっと狭まっている。一方で、サンギランでも新しい部類のサンギラン17号ではそれがゆるくなって額が広くなる。この傾向は、のちのサンブンマチャン、ガンドンへと受け継がれていきます(写真3)。年代が新しいガンドンの頭骨になるともっと額が広くなって、頭もこんもり丸くなっていきます。脳容積もはっきりと増えているんですよ」

ジャワ原人の脳容量が時代を追って少し増えていることは、以前から知られていた。海部さんらはそれ以外にも、頭骨の各所に様々な変化が生じていることを綿密な調査で示したのだ。単に「大きくなる」のではなく、額のきゅっと狭まったところが広がり、頭骨が丸みを増し、脳頭蓋の底の部分が前後に伸びたり、眼窩上隆起(眉の部分の骨が飛び出る構造)の外側部分が分厚くなったりというイメージらしい。これ、CG動画にして見てみたい気がする。

ジャワ原人は百数十万年にわたって停滞していた人類だと思われていた。つい最近までの話だ。しかし、海部さんがまず、咀嚼器官(歯や顎)の縮退を確認し、さらに頭骨の形もかなり変化していることを明らかにした。

出典:ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう - 第20回 頭骨から見る「増大していく脳容量」p1-2<ブルーバックス

その他

ドマニシ人について

ドマニシ人についてはホモ・エルガステルの記事で少しだけ触れた。

ドマニシ人はホモ・エレクトスの種に入るようだが、その一方で、エレクトスとハビリスの中間的な特徴を持っているとされている。上記の見解を支持する人たちは、エルガステルもエレクトス種としているのだろう。

出アフリカの問題

ドマニシ人の誕生は180万年前前後なので、人類の出アフリカはこの年代以前ということになる。ただし、ドマニシ人がユーラシア全土のホモ・エレクトスの祖先かどうかは分からない。エレクトスは波状的に出アフリカを繰り返していたので、別系統ではないかという意見のほうが多いかもしれない。

エルガステルの問題

これまでエルガステルとエレクトスを見てきたが、エルガステルをエレクトスと別個の種と考えている人は少ないようだ。エレクトスの種は変種の幅が広いので、エルガステルがその中に入っても問題ないというか、入れないことのほうが不自然なのかもしれない。

ただ、エルガステルが、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)の子孫であることが有力だそうなので(ハイデルベルク人はネアンデルタール人ホモ・サピエンスの共通祖先)、仮にエレクトスの種内として扱う場合でも他の変種よりも重要だと思う(エルガステルをアフリカ系エレクトスとする人たちもいる)。

アジア圏の生息年代の問題

ネット検索していると、「ジャワ島のMojokerto childは180万年前」とか「雲南省の元謀原人は170万年前」とか出て来るが、私は今のところ信じられないので、信じる気になったらもう少し調べようと思う。

エレクトスの絶滅の問題

2011年のEtty Indriati氏らの論文によれば、ジャワ島のエレクトスは5-3.5万年前に絶滅した、というのが2011年頃までは おおかた信じられていたようだ。おそらくこのくらいの年代が今も主流なのではないか。ホモ・サピエンスは65000前にオーストラリアに到達し*1、6.3万年前にはスマトラ島に到達していたらしい*2

おそらく、エレクトス種はハイデルベルク人やネアンデルタール人ホモ・サピエンスなどの新しい種に生活圏を奪われ、最後にジャワ島でホモ・サピエンスに出会ってしまって絶滅した。これは自然淘汰説どおりの簡単なシナリオだ。

ただし、Indriati氏らの論文の結論では「143000+2000/-1700年前」に絶滅したという*3。この論文にはエレクトスの絶滅の原因については書いていないようだ。

分布

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Distribution of Homo erectus sites

出典: Athena Review, Vol. 4, No.1: Homo erectus

  • このサイトによればバルカン半島以西のヨーロッパへの進出は90万年前以降になるという。

Movius Lineとタケ仮説

「Movius Line」というものがある。

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The Movius Line

出典:Movius Line<wikipedia英語版*4

この仮説の説明と現状(?)は以下のとおり。

ハラム・モビウスが前期旧石器時代の石器資料や石器製作技術の違いから、旧世界における東西の2大文化圏の存在を示して以降、旧世界を2分する境界はモビウスラインと呼ばれている(Movius 1948)。西側地域においては前期旧石器時代・中期旧石器時代をとおして、ハンドアックスやルヴァロワ技法で製作された石器が認められるのに対して、東側地域ではそれらが認められず、チョッパー・チョッピングトゥール石器群が長期間継続する。

こうしたことからモビウスは,東南アジア及び東アジアにおいてチョッパー・チョッピングトゥール石器群が長期間継続した現象は文化的停滞を示していると解釈した。その後、モビウスラインをめぐる様々な解釈が提示されてきた。具体的には、石器石材の制約、地理や地形上の障壁、タケ仮説、人口規模と社会的伝達などについてこれまで議論されてきた(Lycett and Bae 2010)。この中で、タケ仮説は、間接的な根拠に基づく仮説であるものの、モビウスの解釈に対する反論として注目されてきた。特に、この仮説は、ホモ・サピエンスが東南アジアや東アジアに定着したと想定される4万年前以降の研究では現在でも支持されており、より直接的な証拠を得るための努力が続けられている。その一方で、およそ4万年前以前の研究においては、タケ仮説の捉えられ方は大きく異なっている。タケ仮説を否定的に捉える研究者がいるとともに(Brumm 2010; Lycett and Bae 2010)、人口規模と社会的伝達という側面からモビウスラインについて説明されることが多い(Lycett and Norton 2010)。

出典:山岡拓也「モビウスラインの解釈に関する考古学的研究の歴史と現状」の紹介文(PDF)<第3回研究大会 パレオアジア文化史学 アジア新人文化形成プロセスの総合的研究  2017年5月13日(土)-14日(日)

ここではホモ・エレクトスに関わる話に限定する。

ハンドアックスはアシュール石器(アシューリアン)の石器の代表的なものだが、これが東アジアと東南アジアでは殆ど見つからない。アシュール石器は175万年前にアフリカでホモ・エレクトス(またはホモ・エルガステル)が発明したとされている。

  • 上述のドマニシ人はアシューリアンの技術を持たずオルドワン型の石器群を使用していたことから*5、アジアに向かったホモ・エレクトスも同様だったと考えることができる。ただし、その後アシューリアンのような発明は何故おこらなかったのか、という問題がある。

  • 「人口規模と社会的伝達という側面」というものは詳しくは分からないが、おそらく「人口が少ないため、あるグループ(部族)がアシューリアンのようなものが発明されても、周りに普及する前にそのグループが絶滅してしまって発明が継承されない」ということなのではないか。

  • 「タケ仮説」について、上の引用文に付け加えることは、「竹のような硬いものをどのような道具を使って加工したのか?」という問題になる。 ホモ・エレクトス時代の技術でオルドワン石器で竹製品を作ろうとしてもアシュール石器のような鋭利な刃先は作れなかった。竹が いくら硬いといっても石ほどではない。

  • オルドワン型の石器群の中で小さな発明があった、という見解がある。

  • 他の意見としては、そもそもオルドワン型の石器群で十分生きていけた、というものもある。新しい石器群を発明する必要が無かったのかもしれない。

参考文献



人類の進化:ホモ属各種 ④ホモ・エレクトス 前編(ホモ・エレクトスと「人類の進化」研究の黎明期)

ホモ・エレクトスの最初の化石の発見は進化論の議論の盛り上がりの中で起こった。この化石の成果の発表が批判を浴びたことは当然の流れだったろう。「人類の進化」研究、つまり古人類学はこのように産まれた。

ホモ・エレクトスの歴史を知るついでに古人類学の黎明期の歴史を書き残しておこう。

進化論から「人類の進化」研究へ

チャールズ・ダーウィンの『種の起源』(1859年)に触発され、ドイツの生物学者 エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel)が1868年に『自然創造史』を出して、人類の進化に言及した。

ヘッケルはサルからヒトへ進化したことを証明する化石つまり「失われた環」(ミッシング・リンク)は熱帯アジアで見つかるだろうと主張した。どうやら彼は人類の祖先をオランウータンやテナガザルかその祖先と思っていたようだ。オランウータンやテナガザはアジアの熱帯のみに生息するので上記のように予測したのだろう。ヘッケルの他にもチャールズ・ライエルやアルフレッド・ウォレスなどが「熱帯アジア説」を唱えていた。

ちなみに、ダーウィンは『人間の由来』(1871年)で「アフリカ説」を唱えた。彼はゴリラやチンパンジーが人類の近縁だとした。そしてダーウィンのほうが正解だった。

ジャワ島での新種の化石の発見

ヘッケルはアジアで発見されるであろうミッシング・リンクに相当する動物(あるいは化石人類)にピテカントロプス・アラルス(Pithecanthropus alalus,pithec=サル,anthrop=ヒト,alalus=言葉のない)という名称さえ与えた。

ヘッケルの「アジア説」に触発されたオランダ人 ウジェーヌ・デュボワは1887年にインドネシア(当時のオランダ領東インド)に軍医として赴いた。そして1891年、ジャワ島のトリニールで「ミッシング・リンク」を発見した(臼歯と頭蓋冠)。

さらに翌年1892年に大腿骨を発見し、1894年に論文を発表した。彼はこの化石の種にピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と名付けた「エレクトス」は「直立する猿人」という意味らしい。日本ではジャワ原人と呼ばれている。

ただし、彼の成果がすぐに学界その他に受け入れられたわけではなかった。この頃はまだ進化論の風当たりが強く(聖書の天地創造に反するため)、これに加えて化石自体が本当に「ミッシング・リンク」なのか、ただのサルの骨なのではないかと疑われ論争になった。論争の渦中にいたデュボワは標本を他人に見せることを止め、あまり人と交わらない静かな晩年を送ったという。

北京での発見

時代は下り、場所も変わって、1920年代の北京に移る。

第一次大戦後、スウェーデンの地質学者ユハン・アンデショーンは中国(中華民国)に地質学者を育てる助っ人外国人として招かれていた。彼は漢方薬に使われる竜の骨(竜骨)に興味を持ち、1921年、オットー・ズダンスキーとともに竜骨の採掘場である北京周口店地区の竜骨山で発掘を開始した。そして1923年、先史時代の人類の臼歯の化石を発掘した。彼らは化石を祖国に持ち帰って分析し、その結果を1926年に発表した。ただし、この発表では まだ新種の化石であるとしていなかった。

1926年にもズダンスキーにより2つの臼歯が発見された。そして1927年彼はこれをホモ属のものとして発表した。

1927年、(ロックフェラー財団が創立した)北京協和医学院の教授だったDavidson Blackはこれらの化石を新種のものとしてシナントロプス・ペキネンシスSinanthropus pekinensisと命名した。のちに北京原人として一般的に知られるようになる。

その後 発掘作業は拡大し、1929年には中国人学者 裴文中によって頭蓋を含む大量の化石が発見された。しかしこの化石は日中戦争の中で紛失された。幸いにも、1934年に亡くなったBlack氏の後継の教授のドイツ人Franz Weidenreichが化石の詳細な記録を残していたため、頭蓋のレプリカを作成することができた。

ホモ・エレクトスへの統合

北京での相次ぐ発掘により、再びジャワ島が注目された。G. H. R. von Koenigswaldは1931-1933年のガンドンでの発見を初めとしてジャワ島の各地で化石を発見した。

1937年、Weidenreich氏はジャワ島のKoenigswald氏を訪問するなど両者は北京とジャワの新種類似性や比較検討について連絡しあった。その結果、両者の類似性と近縁種だということを認め、シナントロプス属を取りやめ、先取のピテカントロプス属に統合することにした。この決定についてデュボワは認めなかった。

第二次大戦後、アフリカ・ユーラシアの各地で上記の2地域の化石と類似した化石が相次いで発見され、比較検討された結果、これらを一つの種として統合され、ホモ・エレクトスとされた。ただしホモ・エルガステルのように意見が別れているものも少なくない。

おまけ:人類の「アジア起源説」から「アフリカ起源説」へ

戦後、ジャワ島・北京での大量の化石の発掘により、人類はアジアでサルから誕生した、という説が有力説または通説となった。デュボワの主張が批判を浴びせられた時から数十年たち、時代はすっかり変わった。

しかし、さらに大きな変化が起こる。

1925年、レイモンド・ダートが南アフリカホモ・エレクトスよりもさらに古い時代の化石を発表した。彼はこれにアウストラロピテクス・アフリカヌスと名づけた。しかし、この化石の脳容量が小さいために、学界では類人猿のものと判断され、ダート氏の主張はほとんど無視された。

しかしこれを強く支持したロバート・ブルームは、自らも南アフリカで発掘を始め、1938年、アウストラロピテクス・ロブストス(パラントロプス・ロブストス)を発掘した。

さらに古人類学界では有名なメアリー・リーキーが1959年、東アフリカのタンザニア・オルドヴァイ渓谷でジンジャントロプス・ボイセイ(のちのアウストラロピテクス・ボイセイまたはパロントロプス・ボイセイ)を発見した。次いでメアリー氏の夫と息子、ルイス・リーキーとジョナサン・リーキーが1964年にホモ・ハビリスを発表した。

これにより、今度はダーウィンのアフリカ起源説も注目され、大勢の古人類学者がアフリカで発掘を始めるようになった。アフリカ起源説が有力または定説になった。

最後に付け加えておけば、ネアンデルタール人の化石が最初に発見されたのは1829年だそうだ(この頃は進化論を議論する人も少なかった時代だから仕方ない。何か分からない骨をよく保存しておいたものだ。)

参考文献



こうして古人類学は紆余曲折して現在にいたっているが、おそらく現在も紆余曲折の途上にいるのだろう。通説や有力な説が覆されるのは珍しいことではない。これは歴史学でも同じ。

教科書を編纂する人は大変だ。

人類の進化:ホモ属各種 ③ホモ・エルガステル

ホモ・エレクトスは、ホモ属の代表的な種の一つだ。生息年代は100万年を超え、生息地域もユーラシア大陸で広範囲に確認されている。

いっぽう、ホモ・エルガステル(またはホモ・エルガスター Homo ergaster)は独立した一種と認めない学者・勢力がかなりいる。つまり彼らはホモ・エレクトスの変種(時種または亜種)としている。

独立した一種であると断言する人はあまりいないようで、書籍やサイトでホモ・エルガステルを紹介する場合、論争・議論中の状況を説明した上で便宜的に種として紹介している。

とりあえずこの記事では、ホモ・エルガステルを種として認めて書いていく。

「Homo ergaster<wikipedia英語版」によれば、ホモ・エルガステルはホモ・ハビリスの「子孫」で、ホモ・エレクトスの「先祖」と信じられている。

生息年代

190-140万年前

特徴

This species’ tall, long-legged body, with a flatter face, a projecting nose and a somewhat expanded brain was well along the evolutionary path leading to modern humans but it still possessed a number of intermediate features.

出典:「 Homo ergaster <Australian Museum」のKey physical featuresより

発見・公表

1971年、リチャード・リーキーがケニアトゥルカナ湖で下顎の化石を発見した。KNM ER 992。正基準標本。
当初はホモ・ハビリスとみなされていたが、1975年に、Colin Groves と Vratislav Mazák によって新種とみなされ、ホモ・エルガステルと名づけられた。
この下顎は、ホモ・ハビリスアウストラロピテクスに比べて華奢で、臼歯と小臼歯が小さい。

1984年、リチャード・リーキーが率いるチームの一員のKamoya Kimeuが、トゥルカナ湖西岸のナリオコトメ(Nariokotome)で少年の骨格(ほぼ全身)が発見した。KNM-WT 15000。トゥルカナ・ボーイ(Turkana Boy)、ナリオコトメ・ボーイ(Nariokotome Boy)とも呼ばれる。
少年は、8-11歳、身長163cmとされている。成人になったら185cmになるとも書かれる。これに対して、この少年は成人か成人になる直前だったとして身長は伸びても数センチ程度だったろうという主張もある(エルガステルは現代人より成長が早いことは知られている)。180cmを超えるという主張のほうがかなり多いようだが、個人的には後者の説を採りたい。
生息期:160万年前
脳容量:880 cc

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Turkana Boy
Image is of a cast on display at the American Museum of Natural History

出典:Turkana Boy<wikipedia英語版*1

1975年、Bernard Ngeneo と Richard Leakeyが、トゥルカナ湖東岸のKoobi Foraで、成人女性の頭蓋骨を発見した。KNM ER 3733。
成人男性の化石と比べて少し華奢で小さい。
脳容量:850cc

1976年、Richard Leakeyが、同じKoobi Foraで成人男性の脳頭蓋(頭蓋骨の上半分)を発見した。KNM ER 3883。
KNM ER 3733より少し頑丈で大きい。
脳容量:804cc(推定している人が違うからか、KNM ER 3733より小さい数値)。

1991年から2005年にかけてジョージアグルジア)のドマニシで複数の化石が発見された。これらの化石をホモ・ゲオルギクス、またはホモ・エレクトス・ゲオルギクスとする学者もいる。
175万年前の化石とされ、「出アフリカ」の最古の化石の例となる。
2013年に研究発表されたが、2016年に更新された。
Australian Museum では これらを「ホモ・エルガステルかもしれない」としてドマニシの化石とエルガステルの化石を比較している。その他のソースの説明ではホモ・エレクトスの早期のものとするか、エレクトスとホモ・ハビリスの中間とするものがあった。この記事ではホモ・エルガステルの仲間としておく。
ドマニシの化石については下記の参考文献を参照。

その他

  • 石器については以前に書いたが、人類における第2段階の石器、アシュール石器群(アシューリアン)は170-160万年前に発明されたとされている。この発明者として、ホモ・エルガステルが候補に挙がっている(エルガステルを認めない人はホモ・エレクトスとしている)。

  • 火の使用の発明者とする学者がいるが、彼らの一部が火を使用していたとしても、それは限定的なもので途絶している。人類が習慣的に火を使用したのは40万年前からだ。(「ホモ属の特徴について ⑤火の使用」参照。)

  • 140万年前以降の化石が発見されていない。なぜ絶滅したのかは分かっていない。

  • ホモ・サピエンスネアンデルタール人の祖先とされるホモ・ハイデルベルゲンシスの祖先はホモ・エルガステルという主張があり、結構 有力らしい。ハイデルベルゲンシスはエルガステルにかなり似ているとのこと。しかしハイデルベルゲンシスは60万年前に誕生(または最古の化石が60万年前)であり、この開きをどう解釈するかが問題になってくる。この時にエチオピアのアワッシュ川上流のメルカクンチュレ(Melka Kunture)層のゴンボレ2遺跡から出土した化石がこの穴を埋めてくれるかもしれない、という。

この研究は、総合すると、ゴンボレ2遺跡の2個の頭蓋(おそらくは1個体のもの)は、アフリカにおけるエルガスターとハイデルベルゲンシスの間の形態学的な相違を埋めるものであり、80万年前頃にアフリカに出現したハイデルベルゲンシスがユーラシアへと拡散したのではないか、との見解を提示しています。ハイデルベルゲンシスという種区分の問題はさておくとして、ネアンデルタール人と現生人類(だけではないのでしょうが)の共通祖先系統としてのホモ属の分類群が80万年前頃までにアフリカに出現し、ユーラシアへと拡散した、との見解は、大まかにはじゅうらいの有力説の枠組みで把握できるでしょうし、近年の遺伝学の研究成果とも整合的だと思います(関連記事)。ただ、やはりアフリカにおける90万~60万年前頃の人類化石記録の乏しさという問題は残っており、この時期の新たな人類化石の発見が期待されます。

出典:アフリカにおける後期ホモ属の進化<雑記帳(ブログ)2017/11/29

  • この記事ではホモ・ハイデルベルゲンシスの誕生は80万年前となっている。
  • 詳細はリンク先で。

参考文献



ホモ・エルガステルとホモ・エレクトスの両方を一つの記事に書こうとしたが、長くなってしまったのでエルガステルだけとする。

*1:著作者:Claire Houck/ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Turkana_Boy.jpg