歴史の世界

人類の進化:ホモ属の特徴について ⑥脳とライフスタイル その1

脳の大きさと共同体の規模に相関があるという仮説がある。この仮説は「社会脳仮説」というもので、ロビン・ダンバー氏によって主張されている。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

上の著書の解説に簡単に説明されているので引用しよう。

ロビン・ダンバーは、オックスフォード大学進化心理学教授で、「ダンバー数」や「社会脳仮説」で知られる。ダンバー数とは、気のおけない仲間を維持できる上限は、ほぼ150人という指標のこと。一方、社会脳仮説は、社会的行動の複雑さ(相手の心を読み取るメンタライジング能力など)や社会の規模と、脳(新皮質)の容量には相関があるとする。逆に言えば、新皮質の容量から、その集団や認知能力を推測できることになる。ダンバー数(150人)も、こうして得られた仮説である。

出典:ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著の出版は2014年)/p335(解説:本書出版プロデューサー真柴隆弘)

ダンバー氏の主張を見ていく前に、この記事で脳が大きくなることのメリット・デメリットを書いておこう。そして次回、あらためて、ダンバー氏の上の本に頼って書いていこう。

脳が大きくなることのデメリット

出産の問題

まず、脳が大きくなると、当然、頭が大きくなる。

ここで問題になるのは、直立二足歩行の進化により産道が狭くなってしまったことだ。胎児の脳が大きく発達してからでは出産できない。

この解決策は、人類は胎児の脳が大きく発達する前に出産してしまうということだった。しかしこうすると子供の育成期間がかなり延長されるという問題が出てくる。

エネルギーの問題

脳は身体全体に必要なエネルギーの20%を消費する(脳の重量は体全体の2%程度)。さらには脳を使っていなくても消費は止まらない。

人類のように脳を使わない(使う必要のない)動物は脳の拡大はデメリットしかない。脳の拡大を選択しなかった動物は、胎内である程度発達させてから出産することができ、また大きな脳のためのエネルギー(食糧)を獲得する面倒に煩わされずに済む。

脳が大きくなることのメリット

脳が大きくなった最大のメリットは、ダニエル・E・リーバーマン氏によれば、協力だとのこと。

脳が大きくなったことによる最大の利益は、おそらく考古学記録には見つからない種類の行動だろう。このとき旧人類が新たに獲得した一連の技能は、協力する能力をいちだんと強化するものだったに違いない。人間は、ともに力をあわせることが得意中の得意だ。食物をはじめ、生きるのに欠かせない資源をみんなで分け合う。他人の子育てを互いに手伝い、有益な情報があれば互いに伝えあい、ときには友人のみならず見知らぬ他人であっても、切迫している人があれば自分の命を危険にさらしてまで助けようとする。とはいえ、協力行動には複雑な技能が必要で、自分の意志を効果的に伝えたり、協力行動には複雑な技能が必要で、自分の意志を効果的に伝えたり、身勝手な衝動や攻撃的な衝動を抑制したり、他者の欲求や意図を理解したり、集団内の複雑な社会的相互作用をつねにはあくしておいたりといったことができなくてはならない。類人猿も、狩りのときなどに協力することはある。しかし、事情の異なる様々な状況でつねに効果的に協力するというのは不可能だ。たとえばチンパンジーのメスは自分の子にしか食物を分けないし、オスにいたってはまず誰にも分け与えない。したがって、大きな脳を持つことの利点の一つは、人間ならではの協力的な相互作用を促して、それを大きな集団でもできるようにすることだと思われるのだ。人類学者のロビン・ダンバーが行なった有名な分析によれば、霊長類のそれぞれの種の大脳新皮質の大きさは、集団規模とある程度の相関関係にあるという。この相関関係が人間にも当てはまるなら、私たちの脳は、だいたい100人から230人の社会ネットワークに対処できるように進化したことになる。[以下略]

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)/p172-173

チンパンジーのオスは食物を誰にも分け与えない、とあるが、トロント大学名誉教授のリチャード・リー博士によれば「人間の乳児の最初の行動のひとつは物を拾って口のなかにいれることです。次の行動は拾ったものをほかの人にあげることです」*1。この行動は世界共通だそうで、遺伝子に組み込まれているようだ。

このような化石に残らない進化は、チンパンジーなどの霊長類の観察や実験、あるいはアフリカやオーストラリアの狩猟採集民族の観察や聞き取りなどで推測されているらしい。

(つづく)



関連記事:先史:ホモ・サピエンスの「心の進化」/現代的行動


*1:NHKスペシャル取材班/Human~なぜヒトは人間になれたのか~/角川書店/2012/p42

人類の進化:ホモ属の特徴について ⑤火の使用

火の使用の跡については100万年前よりも遡ることができるが、習慣的な火の使用は40万年前からだ、というのが通説のようだ。

火の使用

火の使用の発明、または前回やった石器作製技術の発明・発達は、各地・各時代で散発的に起こったようだ。化石人類の世界では、発明が広がるネットワークが限り無く乏しいために、ある集団が全滅してしまうと、その集団が持っていた技術も伝わること無く消えてしまう。このようなことが無数にあることを最近になって知った。(参考:初期の石器は文化的伝達の産物なのか <雑記帳(ブログ)2017/11/09)

ロビン・ダンバー著『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト/2016(原著の出版は2014年))が火の使用の遺跡を年代順に紹介しているので、これを参考にして箇条書きにしよう。

  • 火の使用を示す確実な証拠は160万年前にさかのぼるが、それ以降なにも発見されていない。
  • 約100万年前になると、ようやく証拠が散発的に見つかるようになる。前回紹介したイスラエルのゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡もこの本で紹介されている*1。しかしその後、ふたたび炉の証拠がない時代が続く。
  • 50万年前から「証拠」が旧世界の三大陸すべてで広範囲から豊富に見つかるようになる。
  • 40万年前以降になると、どの時点でも「証拠」が見つかるようになる。

火を完全に使いこなすようになったのは約40万年前で、いったんその扱いになれると、どこでも意のままに火を絶やさずにおくことや、火をおこすこともできるようになったようだ。火にかかわるこの転換期は、定まった住居(洞窟や小屋を含む)の出現と時を同じくしているらしい。大きな炉は一日に30キログラム以上の薪を必要とすると思われ、これは時間、エネルギー、協力という意味でたいそう大きな需要になる。だれかが、それだけの薪を集めなければならないからだ。これを毎日行なうとすれば、すでに限界に近い時間収支に大きな負担を強いられることになる。さらに、大きな火を絶やさないためには何人かが互いの活動の調整を図らねばならないかもしれない。互いの協力が必要だと認識し、交代しながら火を守るには、言語と認知能力が欠かせないだろう。どちらも大きな脳がなければできない。あとの章では、こうした認知能力を可能にするほど大きな脳が、50万年前の旧人の出現より前にできたわけではないと論じよう。要するに、それよりはるか以前に料理を思わせる証拠(たいてい、黒焦げの骨や種子)はたしかに存在するとはいえ、これらの証拠は料理が40万年前まで食事の際の習慣にはなっていないことを示している。

出典:ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著の出版は2014年)/p155-156(強調は本文では傍点)

ここで主張されていることは、火の使用の起源ではなく、火の使用の習慣化の起源だ。習慣化された火の使用に比べれば散発的に起こった火の使用など重要ではないといえるかもしれない。

ちなみにダニエル・E・リーバーマン著『人体 600万年史』(早川書房/2015(原著の出版は2013年)/上 p162)には「火の痕跡が珍しくなくなったのは40万年前からだ」と書いてある。

50万年前以前に生きたホモ・エレクトスは火の使用を習慣化できなかったようだ。また、この習慣化は「定まった住居(洞窟や小屋を含む)の出現」と時を同じくしているということも重要だ。これは住居の起源といえるのだろう。

火の使用の重要性

火の使用の重要性については、『人体』に簡潔に書かれているので引用。

完全に普及した調理は、人体の姿や生活を変えてしまうほどの進歩だった。まず何より、火を通した食物は生の食物よりもずっとエネルギーの産生量が多く、食べて具合が悪くなる危険もずっと少ない。また、旧人類は火のおかげで慣例な環境でも暖をとれたし、ホラアナグマのような危険な捕食者をよせつけずにもいられたし、夜遅くまで起きていることも可能になった。

出典:人体 600万年史/早川書房/2015(原著の出版は2013年)/上 p162

  • 上の「旧人類」とは、書籍内で便宜的に使用している語で、100万年前以降のホモ・エレクトスの変異体を指す。これにはホモ・ハイデルベルゲンシスなどの異種も含まれる。(p157-161)

さらに、前述のダンバー氏から「肉と塊茎のすべてに火をとおして食べれば栄養素の吸収が50パーセント増える」(p181)ということを前提に引用しよう。

料理によってどんな食べ物でも消化がよくなるわけではない。料理の効果がほんとうに期待できるのは生肉と地中貯蔵器官〔塊茎・根茎のこと、引用者注〕のみだ。ネなどに含まれる滋養に富むが消化の悪い澱粉が加熱によって柔らかくなるのだ。それでも、現在でも狩猟や採集によって暮らしている人びとも肉だけを食べるわけではなく、肉と地中貯蔵器官は彼らが口にする食べ物のおよそ45パーセントを占めるにすぎない。

では、料理が初期ホモ属に与えた恩恵について見てみよう。現生人類のパターンを基準にすると、食べ物の45パーセントで消化効率の50パーセント増加が期待できるので、食べ物全般の質は22.5パーセント上がる。これが意味するのは、摂食時間の100ポイントが栄養素の摂取量に換算して122.5ポイントになるということだ。

出典:ダンバー氏/p149-151

そして、それとは別に「予期せぬ利点」について次のように述べる。

齧歯類の接触行動のメカニズムにかんする最新の研究によれば、ものを食べるとエンドルフィン系が活性する。腹いっぱい食べると満足して、くつろいだ気持ちになるのはこのせいかもしれない。たとえば、祝いの席などでたくさん食べるとエンドルフィンが分泌される。食べ物を料理すると自然に大勢で食べるようになり、このことが社会的結束を固めるのに役立ったかもしれない。食べ物を料理すると自然に大勢で食べるようになり、このことが社会的結束を固めるのに役立ったかもしれない。私たちは一緒に食事にする人に対して暖かく友愛に満ちた気分になる。私達がたくさんの人と食事をともにする社会的摂食を重んじる理由、一緒に食事することが相手と知りあえる自然な方法だと考えがちな理由はこれかもしれない。

出典:ダンバー氏/p181-183

飲みニケーションから披露宴、外交折衝のあとの饗宴など、根本には上のような意味があって、私たちは、科学的にではなく、無意識の中で(遺伝子レベルで?)知っているのかもしれない。



*1:ただしナショナル・ジオグラフィックのニュースでは75万年前とあり、この本では約70万年前とある

人類の進化:ホモ属の特徴について ④打製石器

(前回からの続き)

今回はホモ属と石器について書こうと思ったが、石器時代のほぼ全てがホモ属の時代だということを書き始めてしばらく経ってから気づいた。ここではとりあえず、打製石器の発展の話を書くことにした。

ホモ属と石器について

ホモ属が誕生したのは、一番早い説で280万年前*1

最古の石器文化と言われているのはオルドワン石器(Oldowan)の260万年前(または250万年前)。この前に、330万年前の「ロメクウィアン文化」と名づけられている文化があったという説があるが、これを認めている人が少ないようだ*2 *3

ホモ・エレクトスは初め、オルドワン石器を使用していたが、180万年前にアシューリアン(アシュールAcheulean)石器を開発した。

打製石器の区分「モード論」

打製石器は数百年に亘る長い歴史を持つ。一言で打製石器と言っても多様な種類がある。

Grahame Clarkは1969年に出版した『World Prehistory 第2版』の中で、石器製作技術に基づいた進化段階によって打製石器を区分することを提案した。これを「モード論」と呼ぶ。

まずは5つのモード(様式)を書いておく。詳細はその後に書く。

  • モード1(第1様式):チョッパー、チョッピング・トゥールと剥片を持つ石器群。
  • モード2(第2様式):両面加工のハンドアックスを持つ石器群。
  • モード3(第3様式):調整した石核から得られる剥片石器。
  • モード4(第4様式):二次調整のある石刃。
  • モード5(第5様式):細石器。

以下詳細。

モード1。オルドワン型石器群(oldowan industry)

打製石器の中で、最初期の石器群。

オルドワン石器群はモード1の典型と言われている。

オルドワン石器群を開発したのは後期のアウストラロピテクスか初期のホモ属か、どの種かは確定していない。

オルドワン石器作り方は、手頃な大きさの自然石を別の石で打ち砕くだけ。鋭利になった部分を刃物として使用する。礫(つぶて)の石器だから礫石器(礫石器)と呼ばれる。

打ち欠いてできた剥片を使用する場合、剥片石器と呼ばれる。

f:id:rekisi2100:20171130100744j:plain

出典:打製石器<世界史の窓

  • 礫石器の作り方と使い方

f:id:rekisi2100:20171127143030j:plainf:id:rekisi2100:20171127143147j:plain

出典:左:Oldowan<wikipedia英語版*4
右:Chopper (archaeology)<wikipedia英語版*5

  • 左:石の一方を打ち砕いて鋭利な部分を作っている。
    右:チョッパーと言われるもの。石の一方を打ち欠いて刃物として使用する。
    ちなみに、石の両側を打ち欠いて刃を形成した石器は「チョッピング・トゥール」と呼ばれる。

剥片石器の代表的なものはスクレイパーというものがある。木を削ったり皮を切ったり(サイドスクレイパー)、皮の脂肪を掻き取ったりする(エンドスクレイパー)道具*6

『人体』にオルドワン石器についての言及があるので引用しよう。

私たちの平たい歯では固い肉の繊維を噛み切れないので、ひたすら噛みつづけなければならない。[中略]最初の狩猟採集民が類人猿と同じような食べ方で、生の未加工の食物だけをずっとくちゃくちゃ噛んでいたなら、それに時間をとられすぎて狩猟採集などやっていられなかったはずなのだ。

この問題の解決策が、食物の加工だった。といっても、最初はごく単純な技術が使われていただけだ。実際、最も古い時代の石器はあまりにも原始的で、一見すると道具とは気づかないようなものもある。これらは総称してオルドワン石器と(タンザニアのオルドヴァイ渓谷にちなんで)呼ばれ、粒子の細かい石の一端を別の石で打ち欠いて作ったものだ。大半はタダの尖った石の剥片だが、なかには長いナイフ状の刃がついた、チョッピングツールと呼ばれる切断用の石器もある。このような古代の遺物は、いまの私たちが使っている洗練された道具にははるかに及ばないが、それでもチンパンジーにはとうてい作れないものであり、単純な構造だからといってその重要性が減じるものでは決してない。これらはじつに鋭利で、何にでも使える万能型の道具なのだ。[中略]

ヤギの生肉を噛み切るのは容易ではないが、あらかじめ小さく刻んでおけば格段に噛みやすくなり、消化もらくになる。食糧加工は植物性食物にも魔法のような力を発揮する。最も単純な加工法は、細胞壁などの消化しにくい食物繊維を分断することで、それによってどんなに固い植物も噛みやすくなる。また、石器を使って塊茎や肉片などの生の食物を切ったり叩いたりするだけで一口ごとのカロリー摂取量もぐっと増加する。口に入れる前に小さくしておいた食物は、消化の効率が断然いいからだ。実際、最古の石器についての研究から、肉を切るのに使われていた石器は一部であって、大半は植物を切るのに使われていたことがわかっているが、それもあながち意外ではないだろう。人間は、少なくとも狩猟採集をはじめたときからずっと食糧を加工してきたのだ。

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著の出版は2013年)/123-124

モード2。アシューリアン(アシュレアン、アシュール)石器群(Acheulean industry)

両面加工のハンドアックスが特徴。

f:id:rekisi2100:20171127153046j:plain

出典:Acheulean<wikipedia英語版*7

  • 上の写真は一つの石器の表・裏面と側面を表している。

この石器を開発したのはホモ・エレクトスと言われる。開発時期は175万年前より前(180万年前?)とされる((ケニア、トゥルカナ湖西岸で世界最古のアシューリアン、ハンドアックス見つかる<河合信和のブログ 2011/9/11))。

アシューリアン(アシュール型)石器とは何か?
アシューリアン石器とは,「ハンドアックス」などで代表される大型の打製石器をさす.「ハンドアックス」は「握り斧」とも呼ばれ,丸まった斧頭(楕円から丸まった三角形)の形をしており,典型的なものは最大長15~20cmの大きさである.多くは,石器の両面が加工されているため,「バイ・フェイス」(両面加工石器)とも呼ばれる. ハンドアックスや他の両面加工の大型石器は,人類が初めて,形を予め意識して加工・製作した道具(石器)と見なされている.初期アシューリアン石器は,従来から,アフリカのホモ・エレクトス(原人)の時代に,150万年前ごろ以後から発見されてきた.アシューリアン石器は,ホモ・エレクトスの後継のホモ・ハイデルベルゲンシス(旧人段階の古人類の一種)の時代からも数多く発見されており,約20~30万年前まで作製されていた.

出典:最古のアシューリアン石器(論文解説資料、2013年1月) <東京大学総合研究博物館 人類形態研究室(諏訪研究室)

  • ハンドアックスの他にはクリーヴァ(cleaver 肉切り包丁)、ピック(pick)*8も代表例。

f:id:rekisi2100:20171130101119j:plain

出典:打製石器<世界史の窓

  • ハンドアックス(バイフェイス)の作り方・使い方
  • 上のような手のひらに収まるサイズの石器は後期のものらしい。初期の石器は10cmとか16cmとか大きめのものらしい*9 *10

前述の『人体』にはアシューリアン石器群は「少しばかり洗練され」たと書いてあるが(p161)、

アシューリアン石器群についての一般的理解は、前期ではストーンハンマーによる粗い両面加工が特徴的な大形石器であるのに対して、後期は軟質ハンマーによる精巧な加工が器体の全面に及び、左右均整で薄手に仕上げられ、小形化するなど、アシューリアン石器群の技術・形態に進展傾向が認められる。この技術的進展について、安斎がクラークの見解を紹介している。それによると、ハンドアックス、クリーヴァーなどの両面加工石器は「必要に応じて均整の取れた対称的な平面形と両凸ないし平凸形の断面に仕上げられている。石材が礫の形で存在するところでは,両石器の製作は直接打法による礫のリダクション-小型化・変形化-過程をとる。後期アシュレアンではさらに技術的発展をみる中部更新世後期までに,特に両面加工石器の素材となる大型剥片を剥離する調整石核のさまざまな剥離技術-.........-を生み出していた」(安斎 2003、93p)。

出典:橘 昌信(研究分担者 : 別府大学文学部・教授)/タムネ遺跡のアシューリアン石器群と東アジアのハンドアックス石器群/セム系部族社会の形成 - 国士舘大学 平成19年度研究報告

技術の段階的な発展ではなく、同じ技術の中の改良がなされている。小型化すれば持ち運びに便利で、女性でも簡単に扱えるだろう。

ここでホモ・エレクトスの生活風景が感じられる遺跡の発見のニュースの一部を引用しよう。

イスラエル北部にあるゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡]は75万年前の狩猟採集民の野営地で、ホモ・エレクトスなどの人類の祖先によって作られたと考えられる。現代人であるホモ・サピエンスが出現したのは25万年前にすぎないことが化石記録からわかっている。

この遺跡では、握斧、両刃の礫器(チョッピングツール)、削器、ハンマー、突き錐といった人工物や、動物の骨、植物の残骸が、それぞれ別の場所に埋まっていた。

出典:現代的生活の起源はホモ・エレクトスかナショナル・ジオグラフィック日本語版 ニュース 2010.01.12

この遺跡では火の使用の証拠もある。現代の狩猟採集民の生活に近い風景が想定されているのだろう。

「Acheulean<wikipedia英語版」によれば、アシューリアン石器群は10万年前まで続いた。

モード3。石核調整技法(Prepared-core technique )

上の引用にあるようにアシューリアン石器群の発達の中から大型の剥片の石器を作る技術が生まれる。これを石核調整技法という。

アシューリアン石器群のハンドアックスは、大きめの石(素材)から剥片を打ち欠いて作る。剥片を使うこともあるが、基本的に剥片はゴミ。 これに対して石核調整技法は、剥片こそが石器で、残された素材はゴミとなる。

  • 素材を石核と呼ぶ。
  • 剥片の石器を剥片石器と呼び、ハンドアックスのように石核を使う石器を石核石器と呼ぶ。

石核調整技法の代表はルヴァロワ技法(Levallois technique)と呼ばれるもので、アフリカ、西アジア、ヨーロッパで用いられた。時期については「Levallois technique<wikipedia英語版」で一番早いのがアルメニアの335,000年前。この記事の中で、Adler氏によれば、この技術は各地でアシューリアン石器群を作る作成法から独自に興った、と主張している。この技法の終焉も各地で違うのだろう(時期は全く分からない)。

ルヴァロワ技法による石器の作り方がyoutube動画で見ることができる。

Lasca levallois - youtube

  • 上の動画では出来上がった石器を竹の裂け目に差し込んで、柄のある斧にしているが、ルヴァロワ技法ができた初期はハンドアックスとして使ったのだろう。
  • 動画を見て分かるように、この技術は経験と高い技能を要する。出来上がった石器を想定しながら、刃先となる部分を打ち欠いて、最後に素材と剥片を打ち分ける(上の動画と「Levallois technique<wikipedia英語版」のgifも参照)。
  • 出来上がった石器はアシューリアンの石器(両面加工石器)よりも薄くて軽くて鋭利だ。
  • ただしこの技術を用いる場合は石質が限られる。

ルヴァロワ技法と関係があるかどうか分からないが、50万年前の剥片石器が南アフリカのカサパン(Kathu Pan)から発見された、という発表があった(人類は石槍を50万年前から使用?ナショナル・ジオグラフィックニュース2012.11.19)。ただし、当然のことだが、「50万年」という数字や研究チームの仮説が全面的に受け入れられるためには、別の発掘とさらなる研究が必要だと研究チームも認めている。

『人体』では彼らの仮説を受け入れて、50万年前に剥片石器技術と、上の記事には書いてないが、槍を投げて狩りをした、と書いている(p161-162)。

モード4。石刃技法

石刃
英語でブレード blade,フランス語でラーム lameともいう。円錐状石刃核の打面を周縁に沿って打撃し,側面から次々に打剥された剥片石器で,後期旧石器時代を特徴づけている。基本的には両側平行の長方形で,長さが幅の2倍をこえるもの。石刃の両側は鋭利な刃をもつが,片側を刃つぶしすればナイフ,一端をとがらせると尖頭器あるいは錐,端部に加工するとエンド・スクレーパー,特殊な加工を加えるとグレーバーなど,用途に応じた多様な石器に仕上げられる。

出典:石刃<ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典コトバンク

上の引用で石刃とその種類と石刃技法が簡潔に書かれている。

  • 「円錐状石刃核」は正確に言えば「多角錐状石刃核」。平面は十角形とか十五角形など角の数が多い。
  • 『人体』など他の人の説明では「プリズム状(の)石核」と書いている。プリズム(prism)は角柱の意味。角錐から剥片石器を作るか、角柱から作るかの違いはあるが、それ以外は同じ。

この技術の代表例はオーリナシアン(オーリニャック文化)(後期旧石器時代、45000~、または、42000~)。担い手はホモ・サピエンスとのこと。これより前の石刃技法については分からない。

f:id:rekisi2100:20171201092053j:plain

出典:打製石器<世界史の窓

  • 上の引用ではこの絵は「剥片石器」の箇所にあったが、間違いである(すぐ下の「石刃技法」と勘違いしたか、単なるミスをしたのかもしれない)。

Blade Core Techniqueというyoutube動画も参照。

モード5。細石器(microliths)

細石器
長さ数 cm,幅 1cm前後の小型の石器。なかには長さが 1cmに満たないものもある。後期旧石器時代末に現れ,ことに中石器時代に盛行した。不定形な石器もみられるが,幾何学形細石器と呼ばれるものは,長方形,三角形,台形,半月形を呈している。これらは主としてアフラシア大陸西部に分布する。個々の石器は単独で用いられるものではなく,木または骨の柄の片側あるいは両側に縦に刻まれた溝へ数個ないし十数個がはめこまれ,ナイフ,鎌,あるいは槍,銛として使用された。刃部が損傷すれば,その部分だけをはめ替えればよい。

出典:細石器<ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典コトバンク

使い方の一例が下の写真。

f:id:rekisi2100:20171201125733p:plain
Flint microliths found at Mountsandel, some mounted into a modern wooden knife handle and an arrow. © National Museums Northern Ireland

出典:Mountsandel.com

上の写真はアイルランド出土の細石器だが、年代は分からない。複数の細石器を木や骨に嵌め込んで使用する。

細石器が出土する文化で代表的なものは、後期旧石器時代~中石器時代西アジアのケバラ文化・ナトゥーフ文化、ヨーロッパのマドレーヌ文化あたり(記事「2万年前~(ケバラ文化/マドレーヌ文化)」と「定住型文化の誕生~ナトゥーフ文化」参照)。

細石器文化の一種に細石刃文化がある。

この文化はシベリア以東、中国、日本に伝わっている。

細石器文化と細石刃文化を峻別する定義は私には分からないが、ネット検索した感触では以下のような区別ができると思う。正答が分かれば書き直そう。

  • 細石器文化=アフラシア大陸西部(環地中海東部)に繁栄して、幾何学的細石器を産んだ文化。
  • 細石刃文化=シベリア以東、中国、日本に繁栄して、(幾何学的細石器を産まず)日本刀のような形の剥片石器を量産した文化。

 


*1:ヒト属最古の化石、エチオピアで発見 人類起源解明の手掛かりに<AFP BB News 2015年3月5日

*2:330万年前頃の「ロメクウィアン文化」か、ケニア、西トゥルカナで最古の「石器」発見<河合信和の人類学のブログ 2015/5/11

*3:330万年前頃の石器(追記有)<雑記帳(ブログ) 2015/05/22

*4:著作者:パブリック・ドメイン、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Oldowan#/media/File:Canto_tallado_2-Guelmim-Es_Semara.jpg

*5:著作者:Didier Descouens、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Chopper(archaeology)#/media/File:Pierre_taill%C3%A9e_Melka_Kunture%C3%89thiopie_fond.jpg

*6:スクレイパー#石器 - wikipedia

*7:著作者:José-Manuel Benito Álvarez (España) —> Locutus Borg - Own work、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Bifaz_cordiforme.jpg#/media/File:Bifaz_cordiforme.jpg

*8:細長いピック状(三角形)の石器、根茎を採集するための穴掘りの道具だと思うが、よくわからない。

*9:エチオピア、コンソで100万年に近いハンドアックスの系列発見、最古は175万年前<河合信和の人類学のブログ 2013/9/11

*10:The Origin of The Acheulean: The 1.7 Million-Year-Old Site of FLK West, Olduvai Gorge (Tanzania) <Nature.com 2015/12/7

人類の進化:ホモ属の特徴について ③狩猟採集

どの時点でかは分からないが、ホモ属は生存戦略として狩猟採集を選んだ(または、そうせざるをえなかった)。

狩猟採集民になった理由

氷河期は、300万年前から200万年前の継続的な地球寒冷化に端を発し、まさに地球の気候の変わり目となったきわめて重要な時期である。この期間に、海水温は摂氏で約2度下がった。2度くらい、たいしたことではないと思うかもしれないが、地球全体の海水温の平均とすれば膨大なエネルギー量だ。地球寒冷化は行ったり来たりを繰り返していたが、260万年前には、北極と南極の氷冠拡大するほどにまで冷え込んでいた。私たちの祖先は、遥かかなたで巨大な氷河が形成されているとは思ってもいなかっただろうが、荒々しい地質活動によって生息環境の周期的な変化が激しくなっていくのを確実に感じとってはいただろう。なにしろアフリカ東部では、その影響がとくに甚大だったのだ。巨大な火山性ホットスポットが原因で、この地域全体が、スフレのように隆起し、そののち雨陰をつくり、アフリカ東部の大部分を干上がらせた。また、このちには湖も多く、今日にいたるまで周期的に水が満ちては枯渇するのを繰り返している。アフリカ東部の気候はたえず変化していたが、全体的な傾向としては、鬱蒼と茂った森林が減少し、疎開林、草地、そしてそれ以上に乾燥した、一定の季節にしか住めないような制作環境が拡大した。200万年前には、この一帯は『ターザン』よりも『ライオン・キング』のセットにずっと近くなっていた。

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/p111-112

森林が草地に変わっていく中で、頑丈型アウストラロピテクスは固くて噛みにくい植物でも食べられるような進化を遂げたが、その一方で我々の先祖は狩猟採集民になることを選んだ。

初期の狩猟とはどのようなものか

生息期間二百数十年のホモ属のライフスタイルは、「ほぼ狩猟採集民」だと言っておこう。ホモ・ハビリスやホモ・ルドルフェンシスなどの初期ホモ属は分からないが、我々ホモ・サピエンスが定住農耕のライフスタイルを経験したのは、生息期間20万年のうちの高だか1万年前後でしかない。

その初期のライフスタイルの中には火の使用や草などで作る些末な小屋の製造も無いようだ。手に入る限りの可食植物の採集をしながら、肉食動物の行動を参考にして狩猟をし始めたことだろう(弓矢も無い)。

さて、ライフスタイル(行動様式)だが、「オスが狩猟、メスが採集と子育て」という状況は、比較的簡単に理解できるだろう。多かれ少なかれ霊長類は性差がある(性的二形: sexual dimorphism)。

そして、上述のリーバーマン氏が特に強調していることは、狩猟民になるための体型の進化だ。前回、ホモ属の体型の特徴に書いたが、あのような特徴のほとんどが長距離ランナーになるための進化だ、と同氏は主張する。

ここで狩猟方法について紹介するのだが、まずその前段階として腐肉漁りの話から。以下抜粋。

260万年以上前の遺跡から、切り傷がついた動物の骨が出土している。その傷は、肉を切り離すのに単純な席を使ったときについたものだ。内部の髄を取り出すために砕いたのだろうと明らかにわかる傷がついた骨もあった。つまりこれは、人類が少なくとも260万年前には肉を食べはじめていたというれっきとした証拠だ。(p120)

肉食の発祥は、女性がもっぱら食糧採集に専念する一方で、男性が最終に加えて狩猟と腐肉漁りも行なうという分業が確立したのと同時期だったと推測できる。(p120)

当初、走るための自然選択がなされたのは、それが初期ホモ属の腐肉漁り、にとって有益だったからだろう。現代の狩猟採集民は、ハゲワシが上空を旋回しているのを見て腐肉漁りのスイッチを入れることがある。ハゲワシが上空にいるのは、その真下に獲物がいるという絶対確実なサインだからだ。それを見つけたら死骸のもとに走っていって、ライオンなどの肉食獣を勇敢にも追い払い、残り物のごちそうにありつくのである。もう一つの戦略は、深夜に耳を澄ませてライオンが狩りをしている物音を聞きつけ、朝一番で、ほかの腐肉食動物がやってくる前に死骸のありかに駆けつけるという方法だ。どちらの手段をとるにせよ、こうした腐肉漁りをするには長距離を走れなくてはならない。加えて、肉を手に入れたあとにも走力はものを言う。おそらく初期の人類は、運べるだけの肉を持って走り去り、ほかの腐肉食動物の手の届かないところで無事にその肉を食べられただろう。(p133)

出典:リーバーマン

さて、本題の長距離走を使った狩猟(持久狩猟)の話。

人類は少なくとも190万年前にはヌーやクーズーといった大型動物の狩猟も始めていた。

しかしこの時代には我々現代人が知っているような武器をもっていない。弓矢どころか先の尖った槍さえもない。このような状況下でどのように狩りをしたのかという問題にリーバーマン氏は「持久狩猟をしていた」と主張している。

まず人間は、四足動物なら速歩(トロット)から襲歩ギャロップ)へと切り替えなくてはならないぐりあのスピードで長距離を走れる。次に、走っている人間は発汗作用によって体温を下げられる。一方、四足動物は浅速呼吸(あえぐように息をすること)によって体温を下げるのだが、ギャロップで駆けているあいだはそれができない。したがって、全速力で走っている人間よりシマウマやヌーのほうがずっと速く走れるとしても、人間は自分たちより足の速いそれらの動物を猛暑のなかでの長時間のギャロップに追い込んで、体温を限界以上に上昇させ、倒れたところでとどめを刺すことができる。これがまさしく持久狩猟のやり方だ。通常、個人でやる場合でも集団でやる場合でも、狩猟者はある一頭の大型哺乳類(できれば一番大きいもの)に狙いをつけて、熱い日中に追いかける。追走劇の最初のうちは、獲物がギャロップで逃げ切って日陰に身を隠し、そこで浅速呼吸をして体温を下げる。しかし狩猟者は、すぐにその跡をたどって獲物に迫る。このときは徒歩でもかまわない。そして狙った獲物を見つけたら、今度はふたたび走って追いかける。ぎょっとした獲物は、まだ完全に体温を下げられてもいないうちから、またもやギャロップで逃げ出さなくてはならない。こうした追跡と追走を――歩行と走行を組み合わせて――何度も繰り返していけば、最終的に獲物は体温を致命的なレベルにまで上昇させて、熱射病を起こして倒れる。ここまでくれば、あとは洗練された武器がなくとも安全に、簡単に、獲物をしとめることができる。狩猟者に必要なのは、走ったり歩いたりしながら長距離(ときに30キロ程度)を踏破できる能力と、開けた環境を通りながらもずっと跡をたどっていける賢さと、狩猟の前後に飲み水を確保できるようにすることだけだ。

弓矢が発明され、さらに網などの技術や、狩猟犬、銃なども登場して、持久狩猟はめったに見られなくなったが、それでもアフリカ南部のサン族、南北アメリカネイティブアメリカン、オーストラリアのアボリジニだど、世界各地の部族のあいだでは、最近でも持久狩猟が行われていた記録がある。

出典:リーバーマン氏/p134-135

30キロも走ったら ものすごいエネルギーが消費されるが、肉は植物よりもエネルギーが豊富でさらに栄養も豊富だということで十分にペイできるとのことだ。(p120)

(この記事は次回へ続く)



人類の進化:ホモ属の特徴について ②長距離走行に焦点を置いたホモ属の形態的な特徴

この記事ではホモ属の特徴について書くが、ダニエル・E・リーバーマン著『人体 600万年史 上』*1の第4章「最初の狩猟民族」に頼って書いていく。

この章はホモ・エレクトスの特徴について書かれているが、これをホモ属の代表ということにして書いていく。ホモ・エレクトス以前の初期ホモ属(ハビリスとホモ・ルドルフェンシス)はホモ属とアウストラロピテクス属の両方の特徴を持っているので、代表には なれない。ホモ・エレクトスの直近の先祖のホモ・エルガステルは誰もが認める最初のホモ属だが、ここではホモ・エレクトスの同類ということにしておこう(実際、両者は同種だという学者は少なくないらしい)。

第4章「最初の狩猟民族」の中身は、「長距離を走るために進化した」だ。地上生活と樹上生活の両方に適応していたアウストラロピテクス(属)から地上生活に特化したホモ・エレクトスに長距離を進化は走ることへの適応を意味する、とリーバーマン氏は主張する。

この主張は「Endurance running hypothesis(<wikipedia英語版)」という仮説として学界内の議論の種の一つとなっているそうだ。もちろん反論もある。

アウストラロピテクス属とホモ属の比較

さて、前回の記事を念頭においてアウストラロピテクス(属)と現代人(ホモ・サピエンス)の両者を比較していこう。ここでは、学界の誰もが認めているホモ属の代表としてホモ・エレクトスを、アウストラロピテクスの代表をアウストラロピテクス・アファレンシスとして比較していこう。

前回 引用したPaleoanthropologyに適当な画像があったので載せよう。

f:id:rekisi2100:20171123052150p:plain
Australopithecus afarensis compared to Homo erectus. Credit: Laszlo Meszoly, Harvard U.

出典:What drove the transition from Australopithecus to Homo erectus?<Paleoanthropology(revised 20 February 2007) (元ネタは "Endurance running and the evolution of Homo" (Nature 432, 345-352; 18 November 2004), Dennis M. Bramble and Daniel E. Lieberman)

この画像の改変されたもの(日本語版)があったので、こちらも載せよう。

f:id:rekisi2100:20171123053902p:plain
ホモ・エレクトスの歩行と走行に向いた適応(アウストラロピテクス・アファレンシスとの比較)。左側に示した特徴は歩行と走行の両方に役立っていたと思われる。一方、右側の特徴はもっぱら走行にとっての利点だ。アキレス腱は現存していていないので、その長さは推測である。Figure adapted from D. M. Bramble and D. E. Lieberman (2004). Endurance running and the evolution fo Homo. nature 4 32: 345-52.

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)/P.126

上記の論文と書籍の両方の著者であるリーバーマン氏は、『人体』の中で「もしも今日、街でホモ・エレクトスの一団に会ったら、人間そっくりだと思うことだろう。首から下はとくにそうだ」と書いてある(街なかで出会うホモ・エレクトスは服を着ているのだろうか)。

リーバーマン氏は、ホモ属の進化と長距離歩行または走行を関連付けている。たとえば、長い腕、短い足は、木登りへの適性が削がれる反面、走行に有利になるという。

ホモ・エレクトスは上のような特徴からみて、既に森林の果樹とは決別していたようだ。彼らはサバンナの中で狩猟採集民になるという生存戦略を選び、そして生き残った。

長距離走行に焦点を置いたホモ属の形態的な特徴

さて、それでは本題の特徴の話に移ろう。

リーバーマン氏 曰く、記事の最初で書いたが、ホモ・エレクトスひいてはホモ属が現代人のような身体(機能)を持つこととなったのは二足歩行・走行に適応するための進化が多い。特に持続走行・長距離走行するための進化が多い。

以下のほとんどの特徴が走行に対する適応であるのはそのためだ。

脚(足)の特徴

上の二番目の図を見てすぐ分かるように脚が長くなっている。脚が長くなることにより歩幅が広くなり、その分 コストが節約できる(p127)。

《仕事=力×移動距離(W=Fs)の公式を考えると歩幅の広さは関係ないのではないかと思うのだが、ホモ属の高効率の歩行・走行においては歩幅が広いほうがコストが節約できるのだろう(理解していないため、説明できない)。》

次に、長いアキレス腱完全な土踏まずと。これらは歩行・走行(特に走行)に適応している。土踏まずはアキレス腱や筋肉と連動してバネの役割を果たし、前方移動を効率的にする(p128、p137)。

土踏まず肥大化した踵(かかと)は足底の着地時のショックを軽減するために役立っている(アウストラロピテクス属も土踏まずや大きい踵があるが(p103)、ホモ属のそれらは より発達している)。

短い足指(足趾)は、立位姿勢の安定させる(p140)。特に親指は他の指と並行し頑丈で、おかげで力づよい蹴り出し(歩行の最終局面)が可能となる(p127-128)。

大きな股関節・膝関節・足関節は、直立姿勢による体重の付加(四足動物の2倍)と、二足歩行の屈伸や捻じれに耐えるために有効だ(p128)*2

腰まわり

くびれたウエスは、走行中に腰や頭とは無関係に胴体を捻る(ひねる)ことができる(p140)。

大臀筋は、アウストラロピテクスに比べて大きく発達した筋肉で、リーバーマン氏によれば、歩行時にはあまり働かず、走行時にこそ重要な筋肉である。走行時に転倒しないため前方に つんのめらないように収縮して上半身を後方に引っ張り、走行中のバランスを保つ機能を持っている(リーバーマン氏はそれ故に狩猟採集民になってから(またはなるために)進化したとしている)。

頭部・肩・皮膚

三半規管項靭帯(こうじんたい・うなじ靭帯)も走行のための適応。走行時には頭部は激しく動くが、三半規管は反射回路を作動させて、激しい運動を無効化するために、首や目の筋肉に働きかける。項靭帯はホモ属において初めてできた組織だが、頭を安定させる役割を果たしている(p138)

なで肩は走行中に腰や頭とは無関係に胴体を捻ることができるため。アウストラロピテクスは樹上生活に適応するために、すこし いかり肩になっているが、いかり肩だと走行しにくい。実際にやってみれば分かる。

人間には柔毛が無く、無数の汗腺がある。汗腺はたいていの哺乳類には足裏にしか無い。汗腺は体温が上昇した時に汗を出して身体を冷却する機能があるが、これが無数にあるおかげで人間は長距離ランナーになれた。柔毛は日光を反射するメリットがあるが、反面 皮膚のそばで空気が循環しないため汗が蒸発しない。化石には残らないので、どの時点で進化したのかは分からないが、リーバーマン氏は、この進化を走行のための進化と考えている。

高い鼻ホモ・ハビリスの時には進化していたそうだ。アウストラロピテクスの鼻は類人猿と同じような平たいものだ。

f:id:rekisi2100:20171124152632p:plain
Australopithecus afarensis, adult male. Reconstraction based on AL 444-2 by John Gurche.

出典:Australopithecus afarensis<What does it mean to be human?--Smithonian National Museum of Natural History

リーバーマン氏によれば、この高い鼻も長距離走行への適応だという。

人間の鼻呼吸では、空気は鼻孔から入って上にあがり、直角に曲がったあと、また別の一対の弁を経由して鼻腔に達する。これらの独特な流れによって、空気に無秩序な渦巻きが発生する。この乱流のおかげで、肺は少々がんばって働かなくてはならないが、鼻腔に入ってきた空気は鼻腔内の表面を覆う粘液の膜とたくさん接触できることになる。粘液には水分がたっぷり含まれているが、粘度はあまり強くない。したがって外鼻から乾燥した熱い空気を吸い込んでも、そのあと生じる乱流の働きによって空気は鼻腔内の粘液としっかり接触し、十分に湿気を帯びることができる。この鼻腔内での加湿には重要な意味がある。吸い込まれた空気が水分で飽和されていないと、その空気の送られる肺がからからに乾燥してしまうからだ。そしてもう一つ重要なことに、鼻から遺棄を吐き出すときにも、やはり鼻腔内の乱流のおかげで、鼻はその湿気をふたたび取り込めるようになっている。初期ホモ属における大きな外鼻の進化は、暑くて乾燥した環境のもとでも脱水症状を起こすことなく長い距離を歩けるようにするために、自然選択が働いた強力な証拠なのである。

出典:p130-131

脳の肥大化はホモ属の最も顕著な特徴だ。

狩猟採集民になるという生存戦略を選んだホモ属*3は、集団行動をとって協力体制を維持しなければならない。脳が大きいと未来の利益を考えることができるが、小さいと目の前の利益のことしか考えることができない。この差は共同生活の再分配の時に決定的な差を生む(目の前の利益しか考えられない人は脳が小さいのかもしれない)。脳は膨大なエネルギーを消費するので大きくなるとその分のエネルギー供給が必要になるが、それがペイできたからこそホモ属は存続し、さらに脳は大きくなっていった。(p146-147)

《ロビン・ダンバー氏の社会脳仮説によれば、脳の大きさと集団の大きさ(多さ)との間には相関関係が」あるとする(ダンバー数)。社会脳仮説やダンバー数については別の記事でやろう。》

一般にチンパンジーやほかの類人猿はものをつかむとき、あなたがハンマーの柄を握るときと同様に、ものを指と掌のあいだにくるんで押しつぶすようなつかみ方(握力把持)をする。[中略] しかし、むちむちした親指の腹と対向する四本の指の先端で、鉛筆などの道具を正確につまむこと(精密把持)はチンパンジーにはできない。人間にそのようなつまみ方ができるのは、相対的に親指が長くて、ほかの四本の指が短いからであり、あわせて親指の筋肉が非常に強く、ほかの四本の指の骨がしっかりしていて、指関節が大きいからである。[中略]ルーシーのような華奢型アウストラロピテクスは、類人猿と人間の中間のような手を持っていた。彼らは穴掘り用の棒をつかむことなら間違いなくできただろうが、力強い精密把握ができるような手に進化したことが確実なのは、約200万年前だ。実際、オルドヴァイ渓谷から出土した現生人類にかなり近い手の化石を見て、発見者ルイス・リーキーらは、この最古のホモ属の種をホモ・ハビリス(「器用な人」)と名づけたのである。

出典:p141-142



*1:早川書房/2015(原著は2013年に出版)

*2:p128には「曲げ応力やねじれ応力を軽減していた」と書かれている。応力とは物体(ここでは身体)の内部に発生する単位面積あたりの力のことで、ここでは関節の面積を大きくすることによって応力を小さくしている

*3:ホモ・サピエンスが定住農耕を始めたのは1万年前後だ

人類の進化:ホモ属の特徴について ①ホモ属の定義≒「どれだけ現代人(ホモ・サピエンス)に似ているか」

「人類の進化」シリーズも いよいよ、われわれ現生人類が属するホモ属に突入する。

ホモ属の Homo とはラテン語で「人間」を表す。ちなみに australopithecusは「南の猿」という意味*1。ホモ属の個体はアウストラロピテクス属よりもぐっと現代人に近い外見とライフスタイルを持っている。

「Homo<wikipedia英語版」によれば、ホモ属の意味は厳密には定義されていないとのこと。このページはこの説明に、ご丁寧に3つも論文をソースとして挙げている。

この3つの論文の中の一つ「The Human Genus(Bernard Wood、 Mark Collard/Science 284/02 Apr 1999)」は、定義を提案している(正確には未確定の化石をホモ属かそれ以外か見分ける基準を提示している)。

「Paleoanthropology」というサイト(UCLAのサイトの一部)でまとめられていたので引用しよう(拙訳)。

a. アウストラロピテクス(属)に比べてホモ・サピエンスに密接に関連性があること。

b. 推測された体重がアウストラロピテクスよりもホモ・サピエンスに近いこと。

c. 身体の構成の比率がアウストラロピテクスに比べてホモ・サピエンスに密接に合致すること。

d. 機能形態学において、木登りの適性が抑制されて、現代人のような二足歩行に特化した形態を持っていること。

e. 歯や顎の相対的な大きさがアウストラロピテクスよりも現代人に似ていること。

f. 子供の育成期間が延長された証拠があること。

出典:Where to draw the genus boundaries<Paleoanthropology(revised 20 February 2007) (拙訳)

簡単に言ってしまえば、ホモ属の特徴は、アウストラロピテクスの特徴を離れて、現代人/ホモ・サピエンスに より似ていることが基準だということのようだ。この定義の説明は絶対的ではなく相対的なものとなるのだが、この基準では、化石の標本が少ないためもあって、異なる意見が出て来るのも当然だろう。しかし、ホモ属の特徴とアウストラロピテクスの特徴の両方を持っている場合もあるので、どのように定義しても異論を無くすことはできない。

さて、形態とライフスタイルについて少しだけ書いておこう。

  • (c)の身体の比率に関して言えば、現代人はアウストラロピテクスに比べて足が長く、腕が(相対的に)短い。脚が長い分もあり、身長は高くなる。これは木登りの適性を捨てて、二足歩行に特化した(さらに適応した)せいである。

  • (e)についてはアウストラロピテクスが「生の、噛みにくく、栄養価の低い」植物を食べるために頑丈な歯と顎が必要である一方、ホモ属は火・道具の使用、植物・肉の両食(?)により「火を通した、噛みやすく、栄養価の高い」食事をするようになったためである。

  • (f)に関しては、ホモ属の脳容量が大きくなり、二足歩行の特化より産道が狭まったために、胎児が成長する早い段階で出産せざるを得なくなったことに原因がある。この存亡の危機に直面したホモ属の種(あるいはその直近の祖先)はあまりにも小さな子供を長期間かけて育てる戦略を取った。

このように形態とライフスタイルは密接な関係があり、化石を見ればその種がどのような生活をしていたのかある程度は分かる。ホモ属に限ったことではないが。

上記を踏まえて、論文の著者のウッド氏とコンラード氏は一般に初期ホモ属と呼ばれているホモ・ハビリスとホモ・ルドルフェンシスをホモ属から除外している。

この除外について、ウッド氏が2014年に発表した解説で改めて説明している。この説明を「雑記帳」というブログが日本語で開設してくれているので、これを引用しよう。

ウッド氏は、1999年にマーク=コラード氏と共に、体のサイズ・姿勢・歩行形態・食性・生活史といった特徴に焦点を当てることで、ホモ属ともっと原始的な人類との境界を再検討しました。たとえば、上肢が下肢と比較して、あるいは前腕が上腕と比較してどれくらい長いのか、臼歯は類人猿のように早期に萌出するのか、それとも現生人類のように顎で徐々に形成されるのか、といった問題です。

その結果、ハビリスは一般的にアフリカヌスよりも大きいとはいえ、その歯と顎は同じ比率であることや、ハビリスの体のサイズに関して証拠はほとんどなく、手と足からはハビリスがエレクトスのような議論の余地のないホモ属よりもずっと木登りが上手だったことが窺える、ということが判明しました。したがって、ハビリスがホモ属に分類されるのであれば、ホモ属は一貫性のない特徴の寄せ集めになる、とウッド氏は指摘します。ウッド氏の見解は、ハビリスはアウストラロピテクス属でもホモ属でもないそれ自身の属に分類されるべきだ、というものです。

出典:ハビリスの発表から50年間のホモ属の起源をめぐる議論<雑記帳(ブログ)2014/04/05

このように、いちおうホモ属にカテゴられているホモ・ハビリスらはホモ属の特徴・定義を厳密にしようとすると、除外することになる。

ホモ・ハビリスらをウッド氏が言うように、除外することはいったん脇において、定義を厳密にすることが当然のことになってしまったら属の数が膨大になってしまって分類学の意味が薄れてしまうのではないか、と素人的には思ってしまう。



*1: 南(Australo- ラテン語australisから)、猿(pithecus ギリシャ語pithekosから)。初めて発見されたのは南アフリカだった。

人類の進化:アウストラロピテクス各種(後編 「頑丈型」グループまたはパラントロプス属)

(注:アウストラロピテクス(Australopithecus)を「A.」、パラントロプス (Paranthropus) を「P.」と略す場合がある。)

アウストラロピテクス属は2つに分けられる。前回の「華奢型」グループとは別に「頑丈型」グループがある。

頑丈型アウストラロピテクス(=パラントロプス属)については、前回少し触れたが、あらためて「頑丈型アウストラロピテクス」について書き、その後にこのグループに属する種を紹介しよう。

以下の各種の生息年代はダニエル・E・リーバーマン著『人体 600万年史』(早川書房/2015(原著は2013年出版)/P84)のデータを採用している。

頑丈型アウストラロピテクス(=パラントロプス属)とは?

f:id:rekisi2100:20171113081327p:plain

出典:第263回 特別講演会 人類の起源 河合信和先生(2007.11.25)邪馬台国の会

アウストラロピテクス属の最古の種はA.アナメンシスで生息年代は420~390万年前だ。頑丈型アウストラロピテクスの最古のものはA.エチオピクスで270~230万年前。

前回も書いたが「頑丈型」は派生的なグループで、「華奢型」の方が本流というべきものだが、区別するために「華奢型」と呼ばれている。つまりは「華奢型」=「非頑丈型」という意味だ。

ホモ属は「華奢型」より進化し、「頑丈型」は後継を遺さず絶滅した。

「頑丈型」とパラントロプス属の名称

「頑丈型」の中で最初に発見されたのは、A.ロブストスだが、1938年にロバート・ブルーム(Robert Broom)によって新しくパラントロプス属が設けられ、この種をパラントロプス・ロブストスと命名して発表した。*1

しかしその後、どうやら属名を新たに設ける風潮が起きたために、学界の中で再分類して属名を整理・処分する動きが起こった。その中でパラントロプス属もアウストラロピテクス属に編入することになった。*2

しかし上のような動きに反発または無視する勢力もあり、パラントロプス属を使い続けている*3。一方で、従来の(華奢型の)アウストラロピテクスとの混乱を避けるために、論争とは関係なく、単に通称として使用することが多くなっている*4

特徴

「頑丈型」の特徴は、頭部に表れている。それ以外の胴部および四肢は「華奢型」とほぼ共通している。脳容量は「華奢型」と同じか少し大きい程度(400-550cc)。

f:id:rekisi2100:20171117031347j:plain
Replica of the skull sometimes known as "Nutcracker Man", found by Mary Leakey.

出典:Paranthropus<wikipedia英語版*5

  • 上の写真の「ナックルクラッカーマン」はP.ボイセイの頭蓋骨の化石のレプリカ。

上の写真のように臼歯と顎が非常に発達しており、「華奢型」に比べて噛む力が極めて強いことを表している。また噛む力の強さから側頭部(頬骨・コメカミ)が盛り上がり、さらに、これも噛む力のせいだが、頭頂部には鶏冠のような隆起ができている(これを矢状稜-しじょうりょう-という)。このような特徴からゴリラと比較されることがある。この顎を中心とした頑丈なイメージが「頑丈型」という名称につながった。

「ナックルクラッカーマン」という通称がつけられるように「頑丈型」もナッツのような硬い植物を好んで食べていたように思われがちだが、実際は「C4植物」(高温・乾燥に強い熱帯性の植物)の地下貯蔵器官(根や塊茎)を大量に食べていた。C4植物は果実に比べ栄養価が低いため、大量に食べなければならなかった。「頑丈型」は長時間の咀嚼の耐性と効率化に適応した頭蓋骨を持っていた、ということになる*6 *7。ただし、C4植物のみ食べていたというわけでもなく、果実その他も食べていた。ちなみに、ゴリラも似たような食性らしい*8

「頑丈型」がC4植物を食べることに適応しなければならなかった原因は、気候変動にある。300万年前に地球寒冷化が始まってアフリカは乾燥し、熱帯雨林が縮小した。人類が誕生した700万年前にはすでに乾燥化・熱帯雨林の減少は始まっていたが、300万年前はさらに加速度を増して減少したらしい*9。果樹の減少の中で生き残るために「頑丈型」は草・雑穀を食べるように適応していった。

アウストラロピテクス・エチオピテクス (Australopithecus aethiopicus)

生息年代

270~230万年前

推測の材料

頭蓋骨

特徴

  • 上述の「頑丈型」の特徴を持つ。

  • 下顎が突出している。

  • A.アファレンシスと類似しているとされる(下顎の突出など「頑丈型」以外の頭蓋骨の特徴がにているらしい)。この特徴からA.エチオピクスはA.アファレンシスから進化したと考えられている。

  • 脳容量は410cc。

発見・公表

  • 1967年に、Camille Arambourg と Yves Coppens により、エチオピア南部で下顎の一部と歯の断片が発見された(標本番号:Omo 18)。発見当初は標本の小ささから新種とは判断されなかった。

  • 1985年に、Alan WalkerとRichard Leakeyにより、ケニアの西トゥルカナで頭蓋骨が発見された(標本番号:KNM-WT 17000)。この標本は当初P.ロブストスのものとはんだんされたが、より多くのA.アファレンシスとの類似点を持っているため、新種であるとされた。

その他

P.ロブストスとP.ボイセイの祖先だという説があるが、反論もあり、確定していない。

参考文献

  • Paranthropus aethiopicus<wikipedia英語版
  • KNM-WT 17000<What does it mean to be human?--Smithonian National Museum of Natural History

アウストラロピテクス・ボイセイ(Australopithecus boisei)

生息年代

230~130万年前

推測の材料

頭蓋骨

特徴

  • 3種の中で「頑丈型」の特徴が最も顕著である。具体的には臼歯が現生人類の2倍の大きさで、頬骨の出っ張りも後述のA.ロブストスよりも際立っている。

  • 脳容量が510-550ccでA.エチオピクスより大きい。

  • 性差が大きい。

発見・公表

  • 1959年、メアリー・リーキーにより、タンザニアのオルドヴァイ渓谷で頭蓋骨が発見された(標本番号:OH 5、通称:Nutcracker Man-くるみ割り人間-)。

  • 1969年、リチャード・リーキーとH. Mutuaにより、ケニアのKoobi Foraで女性の頭蓋骨が発見された(標本番号:KNM ER 406)

他にも頭蓋骨や下顎が発見されている。

その他

  • KNM ER 406と同じ年代の層にホモ・エレクトスの化石が発見された。この2つの種は同時代に生きていたことが証明された。

  • 上述のように、従来は硬い植物(ナッツ類や塊茎など)を主食していたとされてきたが、C4植物を主食としていたという説も出ている。

参考文献

アウストラロピテクス・ロブストス(Australopithecus robustus)

生息年代

200~150万年前

推測の材料

頭蓋骨

特徴

  • 性差あり。

  • 脳容量は450-530cc。

発見・公表

  • 1938年、ロバート・ブルームにより南アフリカ共和国の中西部にあるスワートクランズで頭蓋骨のおよそ左半分が発見された(採掘工が1936年に発見したものをブルームが買った、という方が本当かもしれない)(標本番号:SK 46)。同年ブルームにより発表した。これが「頑丈型」の化石の最初の発見であり、ブルームによりパラントロプス属という属が新たに設けられた。

  • 1950年、採掘工によりスワートクランズの洞窟で頭蓋骨の一部が発見された。1952年にブルームにより発表された。

他の化石もあるらしい。

その他

  • A.ボイセイよりも下顎・頬骨が発達していないのは、A.ボイセイと比べれば多様な食料資源が有ったかもしれない。A.ロブストスは主に南アフリカに生息していたが、おそらく比較的果実が多く手に入ったのだろう。またA.ロブストスは骨器を使いまわしてタンパク源であるシロアリを食べていたと推測されている。

  • 初期ホモ属と同時代、同所で生息していたらしい。

  • A.エチオピクスの子孫という説とA.アフリカヌスの子孫という説があり、確定していない。

参考文献



以上で紹介した化石は全部頭部の化石だが、胴部、四肢の化石はアウストラロピテクスのものと見分けがつかないらしい。


*1:Paranthropus robustus<What does it mean to be human?--Smithonian National Museum of Natural History

*2:アウストラロピテクス類(Australopithecines)< ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典<コトバンク

*3:Paranthropus#Disputed taxonomywikipedia英語版

*4:パラントロプスコトバンク

*5:著作者:Durova、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Paranthropus#/media/File:Paranthropus_boisei_skull.jpg

*6:ボイセイの形態と食性との関係 <雑記帳(ブログ)2011/06/09、Diet of Paranthropus boisei in the early Pleistocene of East Africa (Cerlinga et al., 2011) 

*7:鮮新世更新世の移行期のアフリカ東部の人類の食性雑記帳(ブログ)2016/11/20、Testing Dietary Hypotheses of East African Hominines Using Buccal Dental Microwear Data(Martínez et al., 2016) 

*8:山極 寿一, バサボセ カニュニ/ゴリラは葉食者か果実食者か?/霊長類研究 Supplement/J-STAGE

*9:ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史/早川書房/2015(原著は2013年出版)/P111